僕がオピニオン記事を書く理由

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たまに「なぜあんな(やや極端な)オピニオン記事を書くのですか?」と初対面から既存の知人に限らず、聞かれることが多いので考えを整理しておきます。

まず前提として、やや極端に盛ることはあるものの、僕のオピニオンは僕が本当に思っていることです。誰かの肩を持とうとか、こうすると面白いだろうとか、金を貰っているとかではなく、主張として自分の意見であります。それに味付けをして、敢えてすごく極端な位置にポジションを持っていくことがある。すると何が起きるか。

僕が極端なポジションを取ると、対極の意見が炙り出されることがあります。僕の極端なポジションに誰しもが同意するとは当然思ってもいません。ただ、極端なポジションを取ってある意味でピエロになることで、様々な意見が炙り出され、そういう見方もあるよねと自分自身の思考を深めることができます。読者の方も、僕のポジションに対してある意味同意するか否かという思考が生まれ、他者のコメントなどを読んで考えが深まるんじゃないでしょうか。

思考のきっかけを生み出す。そんな記事を書きたいですし、自分自身が記事を通して学びたいんですよね。思考のきっかけを提供することが、僕が読者に提供する付加価値だと考えています。

スタートアップネタを取り上げる同業者(メディア)の方たちとか、スタートアップ関係者から僕(や僕が書く記事)が批判されているということはよく聞きます。記事によってはロジックの詰めが甘いものもあるでしょうし、そもそも上から目線的な論調が気に食わないというのもあるでしょう。ただ、僕が聞く限りでは彼らの僕への批判は「あいつ、嫌い」という感情論なだけな気がします。そして感情論にロジックはありません。感情が先行して、ロジックは後付けするだけです。

僕かて感情に流されることがないわけではないので、感情的にあのメディアは嫌いだという気持ちはわからないでもありません。ただ、それだけ嫌いな背景には自分を脅かす脅威とか何か本能的な危機を感じていたりもするのかなと思います。

そして感情に流されることで、思考の機会損失を生んでいると考えます。人間ができた人ほど、感情に流されず思考の機会損失を最小化しようという態度があるように見受けられます。ベテランになればなるほどこういう人が多いというわけではなく、できた人間か否かは年齢は関係ないように思えます。感情を排して思考するというのはとても難しいことだと思いますね。そしてみんな、それに気づいて気づかぬフリをする。

今後も僕は思考を深めるために、他者のコメントを引き出しレバレッジを掛けるために、極端なオピニオン記事を出すこともあるでしょう。僕の記事が引き金となって多くの人がその事象について思考する機会を生み出すことができれば本望ですね。


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