めっきり少なくなったエッセイを。言語化するのがすごく難しいのですが、自分がサービス紹介を書いたことがあるスタートアップがそんなにスケールしていないフェーズで買収されると、何とも言えない微妙な気持ちになる。なぜなのだろうと思いを巡らせてみた。
まず、書き手がそのサービスを取り上げるのはそのサービスが好きで勝手に書きたいと思うか、その起業家に頑張ってほしいと思う善意かのどちらかだ。クライアントワークでない限りは、僕らは数時間かけて記事を書いても大して儲かりはしない。リアルな話、記事が跳ねてもアドセンス数千円程度のリターンだ。興味があって勝手に書く場合も多いのだが、その起業家の崇高な理念というかサービスを大きくして世の役に立てたいというビジョンに勝手に共感して筆を取る場合が多い。
もちろん、実際にサービスが大きくなり人々の役に立っていくものも多い。一方で、少額の買収というのは企業ではなく人材採用を目的とした「アクイハイヤー型」が最近増えている。そうした買収では買収先の事業は買収後にスケールせずに消滅していくケースも見かける。世間一般的にM&A後(俗にいうPMI)フェーズの成功率(成功の定義が難しいが)はけっこう低い。M&Aが失敗して失速したネット企業も知っている。
別に売却によるExitを否定したいわけではない。スタートアップでは売却のニュースは上場に次ぐ大きなニュースで、いわゆる「ニュースメディア」が喜んで追いたいネタではあるだろう。実際にどんどん売却が成立すればいいと僕も思っている。
しかし、その事業を伸ばすための売却なのか。当然ですがリリースを打つ時は皆が口ろを揃えて「事業シナジーが云々(ry」と言います。それぞれの起業家の思惑があり、個々の事情はあるでしょう。敢えて僕は一人の書き手としての感想を述べます。多分、嫌悪感を覚える読者が大多数かと思う。
短期的に買収されるようなスタートアップの記事を書くことは、(本当に微力ではあるが)その企業の見せかけの企業価値を高めることに加担し、サービスではなくその起業家が儲かることに加担しているだけなのではないか。本質的に事業者はメディアを利用してブランディングし、メディアも影響力のある事業者の記事を書くことでPVと広告費を稼ぐ。一見すると、Win-Winに見えるし、記者によってはWin-Winと感じるのかもしれない。
起業家の売却に「貢献」したのではなく「加担」してしまったという自意識過剰な罪の意識が僕の中に少し芽生える。僕が単純に売却を喜べないのはそんなところにあるのではないか。もちろん、売却後もサービスをちゃんと伸ばしている例もあるけど、そうでなくて結局は起業家が儲けただけという場合もある。
本当に自意識過剰だと思う。だけど、僕の感情を言語化するとこうなる。
「そのメディアの感情を読むのが面白い」と言ってくれた人がいた。
起業家が儲けるために記事を書きたいわけではない。自分が儲けるために記事を書くわくでもない。儲けるための仕事であれば零細メディアの運営は割の悪い仕事だ。儲けるためだけに書いているわけではないというのは、色んな書き手がいるだろうか、皆そうなのではないか。
自らのブランディングのためにメディアを利用して売却して儲ける。温度感の違いなのかもしれないし、起業家側は別にそんなこと思ってないんだろうけど。なんか僕は違和感を覚えてしまう。
また敵が増えそうなことを書いているが、決して起業家や売却を否定したいわけではないことは強調しておく。上場する企業は応援して書こうという気になれるが、売却する企業は書きたいと思う気になれない。感情的な話を吐露したかっただけである。
最後に、マイケルアーリントンの苦悩をBGMに、筆を置く。