発売当初に一度既に読んでいますが、メディア拡大にあたり再読した、MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体。この本で指摘されている何点かの論点を元に自分自身との関連性を踏まえて思考してみる。
注:本稿における「メディア」とは主に本誌のような「オンラインメディア」とあらかじめ定義します。
読者に印象を残し、継続的に影響力を与えるのがメディア
副題が『社会が動く「影響力」の正体』となっており、メディアが世に与える影響力に関して多様な視点から語られています。
メディアとは、そこに情報の送り手と受け手の二者が存在し、その間を仲介し、両者間において、コミュニケーションを成立させることを目的とするものである。受け手に何らかの印象を残し、心理的に、あるいは行動として反応がなされることが、その存在基盤となる。(本文引用)
送り手と受け手のコミュニケーション。受け手はメディアを通して何らかの印象を残し、その影響力が、心理的にあるいは行動として反映される。つまり受け手に何の印象も与えることができず、影響力を発揮できなければ、メディアとしての存在価値はないと帰納法的にいえます。
影響力を与えることでメディアは成立すると考えられるが、一度でも影響を与えられた記事をそのメディア(存在)で読めば、読者はその存在をメディアとして認識するのだろうか。継続的に影響を与えられる存在に対して、読者はメディアと認めるのではないだろうか。
よっていくら何万like獲得しようが、1本当てただけの存在はメディアとは認識されにくいだろう。継続的に影響を与えられることにより、読者はその存在をメディアとして認め、 メディアに期待を抱き、再訪するようになる。送り手と受け手の、地道で継続的なコミュニケーションが、メディアの礎を形成しているのではないだろうか。
ちなみに、オンラインメディアにおける、個人ブログとメディアの境目は「そのメディアの影響力の範囲が、ある程度広範であると公的に認められつつあるか否か」ではないかと思う。
メディアの数字と影響力は本当に相関関係があるのか
読者を魅了し、継続的に影響力を与えられるメディアとはどのようなメディアなのか。読者はそのメディアの「何」に影響されるのか。そのベースとなるのは読者の信用に足るコンテンツ。しかもただ信用に足るのではなく、良い意味で読者に驚きを与えるコンテンツ。読者がそのコンテンツに出会えなければ、その思考や情報に辿り着かなかったようなコンテンツ。
その思考や情報まで読者はあと一歩だったかもしれない。遥か遠くにいたのかもしれない。しかし、そのコンテンツに出会えたことで、読者は思考の種を一つ手に入れる。そのコンテンツを通した質の高いコミュニケーション。時に受け手を深い思考へと誘う。そんなコミュニケーションをコンテンツを通して続けていけるメディアに、読者は影響を受け、欲し続けていくのではないか。影響力の方程式は下記で表されると仮説を立てた。
影響力=何かしら影響を与えた回数×コミュニケーションの質や深さ
一般的に、メディアの指標は数字で計られる。PV、発行部数などだ。「影響力の範囲がある程度広範であること」を前項でメディアの定義とした。数字は上記の方程式の「何かしら影響を与えた回数」と関連性が高いといえる。
一方でコミュニケーションの深さはなかなか定量的な指標で計ることができない。私も本誌の運営を通じて、多くの読者と接してきたが、数字が取れた記事が読者の印象に残っていたとは限らない。むしろ全く読まれていない記事に対して「あの記事、面白かったですよ」と反応されることも少なくない。そして制作者としてはそうした時ほど救われた気持ちになる。
私自身、様々なメディアのいち読者として、「あの記事は良かった」と内容を今でも想起できる記事は多くない。決して記憶力が悪いわけではなく、そのような「刺さるコンテンツ」と出会える確率は稀なのであろう。
内容を想起させることができるような記事。読者の印象に、心に強く残る記事。本田圭介の2010年WCのデンマーク戦のFKのような記事。誰かに強く刺さる記事が万人に刺さるとは限らない。だが、誰かに深く刺さるコンテンツで読者とコミュニケーションし続けられるメディアこそが、影響力を与え続けていけるのではないだろうか。そしてその上にこそ、ブランド力や権威性が付いてくるであろう。
100万人に届くような歌は、誰か1人のために作られた歌であることが多い。(四角大輔氏にみる強いクリエイティブより抜粋)
私はこの言葉がすごく好きだ。すごく。
良い意味での独裁者であるべき編集長と、編集権の独立
これまでは主にメディアの影響力について触れてきたが、最後に「編集権の独立」を話題に上げる。CGMサービスではなくコンテンツを編集長が100%掌握する体制のメディアにおいて「編集権の独立」は極めて重要。
「影響力がある程度広範である」と認められるようになる具体例の一つとして、メディア運営における第三者から何かしらの圧力がかかるようになることが挙げられる。影響力のないメディアに対して圧力をかけたり、不快に思うほど、人は暇ではない。本誌ですら何度となく様々な人から圧力を受けてきた。不躾に送られてくるプレスリリースたちに対して、うるせえ馬鹿野郎!という記事で応戦したこともあった。会社員時代には会社の上司から圧力を受けたこともある。
メディアは読者がいてこそ成り立つ。読者が求めるコンテンツを判断するのは編集長だ。メディアは送り手である編集長のセンスが全てであると言っても過言ではない。一貫性のないコンテンツを出し続けて、読者からの期待を裏切ればメディアは終わる。だからこそ編集長は妥協しない。第三者からの「助言」ではなく「介入」を受け容れることはない。
だからこそコンテンツに介入しようとしてくる人に対しては誰に対してでも毅然とした態度を取る。私に限っていえば、拒絶反応と表するのが最適だろう。書いてくれ。載せてくれ。ああいうことを書くな。そういうことを言われるのが一番萎える。仮に好意的に書こうと思っていたとしても、そういう「介入」を匂わせることがあると悲しくなる。
自分自身で必要だと判断した時に、情報を取りに行く。編集長は良くも悪くも独裁者気質の人が向くのだと思う。簡単に自分の意志を曲げず、自分の考えを信じ続けることができる独裁者だ。数字が取れない局面でも間違っていないと思えば自分を信じ続ける。骨太な人じゃないと続かないであろう。高潔さが求められるというのはMEDIA MAKERSにも記載がある。
注:「独裁者」は他人の意見に全く耳を傾けないという意味ではない
こんなことをMEDIA MAKERSを読みつつ、自身のメディア運営における課題を鑑みて思考した。こうした思考のきっかけを私に与えてくれたMEDIA MAKERSは希代の名著である。田端さん、ありがとうございました。ぜひアフィリエイト料率の高いKindle版を上記リンクからお買い上げいただきたい。MEDIA MAKERSに目を通さないことは、本誌の読者にとっては大きなディスアドバンテージになると断言できる。
ちなみにメディアについて思考する上では、影響力の武器と共に読み進めることをお勧めしたい。一般的な影響力がどうメディアに応用できるかに思考が及ぶはずだ。
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