客観的にみると、僕自身は本誌でいう「栽培マン」(サラリーマン)でもなければ「神」(IPOやM&AでEXITして富を得た人)でもなく、その中間に位置しています。
よって、神の経験はないのですが、栽培マンとしての経験はあるため、いかにして栽培マンを脱したかという話をすることはでき、それが多くの人の役に立つのではないかと編集者に言われまして、もう少し噛み砕いたキャリア論を今後ぼちぼちと書いていきたいと思います。TheStartupを始めた2011年1月は僕はまだ栽培マン(サラリーマン)でした。
今日の話は、タイトルにある通りで「言われていないことをやろう」という話。編集者の友人曰く、日本の教育制度は「いかに言われたことをやるか」という人間を育てるためのものであるらしく、僕は帰国子女でもなんでもないのですが、そういう日本の教育制度に染まっていないのです。
父が高校教師なのですが、勉強しろと言われたことは一度もありません。大人になってから聞くと、放置プレイが教育方針だったそうです。よって、生まれてから「誰かに何かをやらされる」ということがほぼない中で育ってきたようです。習い事もエレクトーンをやっていましたが、「自分でやりたい」といっていたそうです。大人になってから、ピアノの方が明らかにカッコイイよな…とか思いましたが、全て自分の自由意志だったようです。たしかにやらされた習い事は一つもない。
高校も大した進学校ではないので、勉強しろとか言われない。むしろ自習室で勉強してたら、若干白い目で見られるw 大学時代も何かを強制される場面に遭遇したことはほとんどありませんでした。
社会に出ると、一応正社員として会社に雇用されました。この「正社員として雇用」というのが僕には本当にダメなようで、被雇用者は嫌いな仕事でも雇用されている限りはなんでもやらなきゃいけないのです。今回は詳細は割愛しますが、やりたくない仕事をやらされて、鬱の手前でした。
日本企業の雇用システムや雇用慣習では、「正社員である以上、文句を言わず何でもやれ」というのが普通であり、その代わりとして終身雇用であることが暗黙の了解であるようです。超大企業であればそうなのでしょうが、シャープが買収されるような時代ですし、終身雇用という暗黙の了解は事実上崩壊しているといえます。
にもかかわらず、文句言わずに何でも言われたことをやる代わりに、終身雇用を保証せよという被雇用者は社会全体でみると未だに多いらしいということです。
そういったスタンスと僕は180度異なるスタンスでした。栽培マンとして4社に勤めましたが、2社目くらいまでは言われたこともできないレベルでした。栽培マンとして相当に無能ですね。3社目くらいから、言われたことに加えて、言われていないことも勝手にやりだすようになりました。独立してからは、基本的には言われていないことをやることの方が多かったように思えます。
言われていないことをやる。というのは、栽培マンからすると理解しがたいことかもしれません。それは職務領域を超えており、「俺の仕事じゃなくね?」と言い出す人もいるでしょう。
しかし、言われていないことをやることが、脱栽培マンへの唯一の道といっても過言ではないでしょう。
言われていないこととといっても、その会社やビジネスのゴールと全く関係ないことをやるのではありません。あくまで今自らに与えられている範囲を逸脱して、こういうことをやれば会社やビジネスにインパクトがあるのではないかと、逆算して考えて実行することが「言われていないことをやること」なのです。
雇用主の観点からすると「めちゃくちゃ気が効くやつ」ということであり、言われていないことをやるには、視野が広くセンスがないとそこに思い至らないはず。自ら気づいて、能動的に動けるか否か。これが、「言われていないことをやれる人材」の条件です。
起業家なんて「言われていないことを勝手にやりだすやつ」の典型例です。「世の中にはこんな課題があるはずだ!俺が解決してやる!」と勝手に立ち上がっているわけで、株主とか先輩に「おい、お前起業してこれやれよ」と言われて、仕方なく言われたことをやっている起業家などほとんどいません。そんなやつは、エセ起業家です。
同じ仕事でも、言われたことをやるのと、言われていないけどこれをやった方がいいし、やりたいな。と思ったことをやるのでは、後者の方が楽しいじゃないですか。「起業家が言われたことをやっている姿」は想像し難く、ゆえにM&Aでロックアップされて苦しくて発狂していることが多いのではないでしょうかw 親会社の予実など知らんわ、俺の好き勝手にさせろ!的な。
整理しましょう。言われたことをやるのは当然ですが、言われていないことをやろう。言われていないことをやるには、視野の広さが必要で、自ら気づく能力が大切だ。常に自らがビジネスオーナーの視点となり、自らが携わるビジネスに足りていないものは何か。自分が働きかけることで、そのピースを埋めることはできないか。
被雇用者であっても、経営の視点を持ち、脳内でシミュレーションすることは自由だ。たまに、栽培マンな上司が「そんなこと考える暇があれば自分の仕事をやれ」と言ってくるかもしれない。しかし、そんな上司は所詮は栽培マンである。栽培マンを抜け出したければ、言われていないことをやろう。言われていないことをやるための準備をしよう。常に高い視座で物事を考える習慣があれば、言われていない仕事に気づける日が必ず来るはずだ。
こういった話を「梅木の履歴書」(仮題)というマガジンを作って書こうか検討中です。僕の過去のキャリアに照らし合わせながら、脱栽培マンの思考法を掘り下げていきます。読みたい人はtwitterとかで感想とか読みたいとか言ってください。声が多ければ、書いてみますよ。