たまにご紹介するキャリア論。
私は2011年12月に独立してもう丸4年経つのですが、サラリー栽培マン時代と一番異なるのが「仕事を仕事だと思っていない」という考え方です。
サラリーマン時代はやりたい仕事をやっているときは無我夢中で頑張るのですが、どうしてもやりたくない仕事が発生したり、やらざるを得ないことが多々ありました。ときには、やりたくなさすぎて、朝起きるのが辛い…ということも。
独立後はほぼそういうことがなくなりました。1度だけ、クライアント先に週1で常駐を求められたことがあり、執務スペースが大嫌いな私には、当時かなりの精神的プレッシャーでした。あの監視されてる感、自分の仕事を進めたいのに、勝手に話しかけられる感がとても嫌でした。スタバで話しかけられるのも、集中の邪魔になるので、スタバで私を見かけても放っておいてくださいw
今は本当に仕事を仕事と思っていません。最低限のやるべきルーティーンはありますが、会議も毎回楽しみですし、やらされている感がゼロです。多少の飽きはありますが(飽きっぽいので)、基本的には自分で考えてやりたいことだけやっている状況です。それが結果として、仕事になっているし、結果も微力ながら出せているという状況なのだと思います。
ここでいう「仕事」の定義を確認しておいたほうが良いでしょう。私の認識と相違なければ、日本人の(海外は知りませんので、あくまで自分が知っている環境に限定)「仕事」とは、やらなきゃいけない義務感とか、やらされているものというイメージがあります。
日曜夜のサザエさん症候群(月曜に出社したくなくなる)とか、自分を犠牲にして働き、家庭を顧みないドラマが多いとか、少なくともサラリーマンにおける仕事=お金を稼ぐための生活手段であり、必ずしもやりたいことをやれているわけではない、という認識はまだ根強いのではないでしょうか。
私に言わせれば、その状況こそが栽培マンなわけです。
やりたくないことを続けても結果が出にくい。むしろ、深夜土日問わず、そのことを考え続けていられるような、ハマれる没頭できることを見つけるべきです。それくらいやらないと突き抜けられないですし、勝てないと思います。没頭していた結果として、仕事になっていた。というのが良くて、仕事のための仕事をしてはいかんのです。
「ライスワーク」という言葉がありますが、ご飯を食べるための仕事ではなくて「ジョブ」ですかね。英語では「大変難しいこと」という意味もあるようで、「ジョブ」ができるようになるには「ワーク」の発想ではとても辿り着けません。
「ルーティーン・ワーク」という言葉もあるように、ワークは単純なコモディティに陥ってしまいがちで、難しことに挑戦することが「ジョブ」であるのだと思います。そしてその「ジョブ」は「ワーク」の延長線上にはなくて、むしろ遊びとか何か一生懸命になれることの延長にあるのではないかと思います。
例えるなら、ゲーム感覚で「くそ!もう少し!」と、自らを奮い立たせつつも、どこか楽しみながら継続的に努力しているイメージ。
「ジョブ=大変難しいこと」をやり抜くには、継続が不可欠です。
自分がハマり続けて継続できるものを見つければいいんです。
だから皆さん、ワークではなくジョブを。仕事をしようと思うのではなく、最高に楽しいと思える遊びを見つけると良いのではないでしょうか。
イケてるビジネスマンは、遊ぶように仕事をしているというか、無邪気に楽しそうに仕事している人が多い気がします。生き生きとしていますよね。
これが栽培マン脱出のための、本質的な近道かもしれませんね。
多少軽く書きすぎかもしれませんが、もちろん最低限のルールを厳守すべきなことは大前提ですが、責任感とか使命感より、やりたいか否か。それだけだと思うんですよね。
やらされているのではなく、能動的になれなければ、突き抜けることはできないんですよ。突き抜けたいか否かは、また別だと思いますけどね。