2015年におけるバブル嫌悪の正体

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先日の物欲なき世界のレビューの直後でカウンターですが。

どうもラグジュアリーメディアの編集をしてると「バブル臭が(笑)」的なリアクションをSNSで目にすることが多く、なぜバブルってそんなに嘲笑の対象になるんだろうか?と素朴に思っていました。

いくつか考えたことがあったので、まとめてみようかと。

まず社会トレンドとしては確実に「物欲なき世界」へ向かっていることは明らかで、物欲の象徴ともいえる「バブリーな感じ」はトレンドと逆行しています。ここでいうバブルとは不動産価格のように「実体価値よりかけ離れていること」ではなく、「ラグジュアリーな生活」と定義しておきます。

歴史的な時間軸で見ると日本でのバブルは1990年前後。当時のバブルの実体験がないので推測にすぎないですが、当時のバブルはサラリーマンが六本木交差点で万札をヒラヒラさせてタクシーを捕まえていたと聞きますので、多くの人がその恩恵を受けていたのだと思います。なので当時はバブルを嘲笑する人がそんなに多くなかったのではないかと。

2015年現代においては日本においても貧富の差が拡大しており、外資系証券会社や起業で一発当てた人は稼いでいますが、一般のサラリーマンがバブリーな感じとは到底いえません。twitterなどでバブルを嘲笑したがる人は、そういったラグジュアリーな世界を全く経験したことがない場合が多いのではないでしょうか。

ばぶる

そういう世界を知った上で嘲笑するのと(成熟社会において消費活動に疲れてカウンターカルチャー的な物欲なき世界な方向へ傾倒した富裕層もいるでしょう)、全くそういう世界に手が届かない人が嘲笑するのでは、意味合いが全然違ってきます。単なる嫉妬を嘲笑することでごまかしている場合もあるのだと思う。

1989年と2015年を比較すると、バブリーな生活を謳歌している比率がそもそも異なっており、多くの人が恩恵を受けた1989年と異なり、2015は謳歌した比率が圧倒的に少ない。人は自身が経験したことがないアップサイドな世界は想像で語るしかなく、手が届かない世界を嘲笑することで自己正当化を図ったりすることもある。

私は誰がどんな生活をしていようが批判対象としてはさほど興味がなく、バブリーだなワラ。とか嘲笑することはそんなにありません。それが与沢翼さんの生活であっても。

一つ言えることとしては、バブリーな生活ができる境地にまで至った人間は、親が金持ちなどの二世は別として、相対的にはかなり努力してその座を得ているはずです。勝ちにまぐれの勝ちはなく、努力の結果負けることはあっても、努力なくした勝ちはないのではないかと。

嘲笑する側の人よりも嘲笑される側の人のほうがずっと努力してるんですよ。その結果として、ラグジュアリーな生活ができるようになった。というだけであり、嘲笑する暇があればもう少し頑張れよと私は思ってしまう。私に対してあいつはサロンで楽して儲けてるとか思ったらダメですよ。今の収益性に至るには様々な試行錯誤と努力があった上です。

もう一つのバブル嫌悪の正体としては、自分の価値観に沿わないモノは簡単に否定する人が多いんだなとtwitterやNewsPicksを見ていて感じます。こればバブル云々に限らずではありますが、視野が狭く多様な価値観を認められない。バブルに紐付けると日本は清貧が正義で嫌儲主義的なところがあるので、余計その価値観を認めにくい。単一民族国家であることも関係するのでしょう。多民族国家の米国ではいちいち自分の価値観に合わないモノを否定していたのでは持たないでしょうね。

とりとめなく書きましたが、そんなことを思いました。

最近とある目上の起業家の方と話す機会があり、私が例えば六本木ヒルズやミッドタウンに住んでいると調子に乗ってそうだなと思われて、それはちょっと嫌だな。。ということを話したら「調子に乗って何が悪いんですか?」といわれ、ジェネレーションキャップを少し感じました。私たち30歳前後の世代は調子に乗っていると世間から叩かれるということを、メディアを通して身を以て体感してきた世代なので、あまり調子に乗ってる感を出さない人が多いです。それが有名な起業家であっても。むしろ冷蔵庫持ってないぜアピールとかをしたりもしますしね。

私かて多少リッチな生活をすることもありますが、振れ幅はかなり大きいです。4万円の鮨を食べた翌日は400円の吉野家の牛丼を食べたりもします。ラグジュアリーな生活をひけらかしすぎると叩かれることを本能的に悟っていますので、ごくたまに鮨をFacebookに投稿するくらいですね。

私自身はラグジュアリーな世界観は好きですが、それにのみ染まることはなく、吉野家の牛丼も好きです。私は嫌悪しているわけではにないにしろ、バブル的な価値観やラグジュアリーな世界観がどうしてこうネットでここまで叩かれるのか。インターネットは馬鹿と暇人のモノがゆえ、本当の富裕層はネットでラグジュアリーな生活をひけらかすことはしないだろうし、インターネットでそういう世界を叩く人の多くは、一生叩かれる側に回ることはできないのでしょう。

嘲笑する暇があれば、嘲笑される側に回ろう。

知らない世界を笑うのであれば、その世界を知った上で笑えたほうがいい。

私はラグジュアリーな世界も知った上で、その世界をよしとするか、やはり成熟してきて物欲なき世界だよな、という方向に傾倒していくのかを考えていきたいと思います。ラグジュアリー世界観を知らずして(体験出来なくて)物欲なき世界、とかいうのは人生経験として貧しいと思うのですよね。



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