プロデューサーは、視聴者のニーズとアーティストのエゴの架け橋である

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先日ミスチルのライブを観に行きまして。音楽評論家ではないですが、プロデューサー論の事例として良いかもなあと思ったのでご紹介を。

ミスチルは2015年発売のアルバム「REFLECTION」から、長年プロデューサーを務めた小林武史氏のプロデュースから外れたようです。それこそガチな音楽の方向性の違いで揉めていたと何かの記事で読みましたが、小林武史氏が抜けたミスチルはCDアルバムからはその影響を大きくは感じませんでしたが(ロックテイストが強まったなという印象)ライブでは一目瞭然の差がありました。2013年のツアーである[(an imitation) blood orange] Tourも観に行っていたので、わかりました。

簡単にいうと、プロデューサーの仕事とはアーティストと視聴者(大ヒットを前提に考えるのであれば、それは「マス」と言い換えられる)の架け橋となるようなものだと思う。アーティストの尖った魅力を、マスにアジャストさせる力と言えるかもしれない。

プロデューサー

小林武史氏を失ったミスチルは、「自分たちのやりたい音楽」をやっているのだろうけど、それはファンが求めた音楽なのかというと、ライブのセットリストを聞く限りは少し違う気がした。小林武史色が強いメロディアスなナンバーはこれでもかというほど影を潜めた。

おそらくマスはメロディアスな「お決まりの」ナンバーを求めているのであり、ライブにおいては「お決まりのナンバー」と「知る人ぞ知るマニアックな選曲」のバランスが重要で、エゴが強いと「みんな、俺のこと知ってるよな?」とマニアックな方向へ比重が寄っていく。しかし、国民的アーティストであるミスチルにそれは求められておらず、ファンの立場を代弁して小林武史氏がライブの構成とかアジャストしていたのではないかと感じた。(そしておそらく多くのファンはそれを求めている気がする)

プロデューサー論としていうと、昨今のストリーミングブームでまた前線に戻ってきた感のある小室哲哉氏もアーティストの魅力をメロディアスにマスにアジャストさせることに長けたプロデューサーだったと感じる。90年代後半の小室ファミリーの無敵ぶりは中高生だった筆者世代はドンピシャで影響を受けている。しかし、小室哲哉氏のプロデュースから離れたアーティストはその後売れていただろうか。

ここから強引にスタートアップに喩えてみると、アーティストのようなエッジを持った起業家が「この事業をやりたい」というwantがあっても、プロデュース的な視点がなければそれはユーザーに届かない。ひいては、ヒットサービスを目指すのであればマスに受け入れられるサービスである必要があり、起業家のこだわりは時と場合によってはマスに受け入れられるサービスを作る際に邪魔になることがある。

アーティストや起業家の「want」という核の見せ方を変えたり味付けしたりというデザインを通して、マスに届ける。それが意外と難しく、ミスチルでさえ小林武史を失うとバランスを崩すのである。

以前、サロンメンバーでもあるイセオサム氏にプロデューサー論を取材し、ふつうのひとが求める感覚がわかることが良いプロデューサーの条件という記事を書いたが、言い換えると視聴者やユーザーの代弁者であるということであろう。

サービス提供者の立場では、どうしても提供者視点が強まってしまい、ふつうのひとが求める感覚を忘れてしまうことがある。提供者視点とユーザー視点を反復横跳びできるバランス感覚がある人材がプロデューサーに向く。そしてそれは、アーティストのアーティスト性が高ければ高いほど両方の役割は担いにくいのではないか。セルフプロデュースで成功するってすごいバランス感覚だよなあと改めて思った。

僕自身はアーティスト気質が強いので、日頃意識しないとプロデュースの観点ではどんどんズレていってしまうので、気をつけようと思った。これがミスチルのライブを鑑賞した収穫であった。

こちらが新譜です。僕は2曲目の「Fight Club」が好きですね。今回はプロデュース論だったので割愛しましたが、ミスチルのライブって映像が一番面白いですよ。毎回栽培マン的な世界観の映像が出てきます。そういえば今回の新譜の「WALTZ」は就活生には堪える歌詞だと話題のようです。

参考記事:ミスチルの新曲が「就活生殺し」と話題に 心をえぐられるファン続出「我々は道化でしかないんだよな」

それではWALTZの替え歌で締めたいと思います。さようなら。

WALTZ(スタートアップCEO ver)
作詞:梅木雄平

光 夢 シリーズA さようなら
闇金 絶望 資金ショート こんにちは
ポートフォリオに適さぬと はじき落とされて
投資委員会からの スカイダイブ

一社そしてまた一社 はじかれて
繰り返されるデューデリに 離脱者は増える
メディアに並ぶのは一握りだけ
資金調達記事をBRIDGEで見るなんか嫌

いや もしかしたら 今回ラウンドの
バリュエーションが高すぎたのか
そんな訳ゃない 自分がよくわかってる
嘆いて 泣いて(嘆いて 泣いて)
疲れて 眠って wow wow wow



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