高城剛病という病

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高城氏

ざっくりいうと…

・高城剛氏のライフスタイルに憧れて模倣を試みる25歳前後の男性が増えている
・著名人のライフスタイルを模倣することは未熟であり、自己と対峙できていない証拠ではないか。ロールモデルを持つことはむしろ危険だ
・そういう層が多いので自己啓発著名人ビジネスという市場が成立する

数年前から25歳前後の男性によく「高城剛病」にかかっている方を見かける。予め断っておくと、高城剛さんを否定する記事ではない。昔でいう「カツマー」みたいな現象があり、その現象に対する考察になります。

抽象化すると「ロールモデルを持つことの危険性」への指摘となる。私も学生時代に大学の先輩だったり、最近出会った魅力的な方で「30代になったら、こんな素敵な大人の男性になりたいYo!」と思ったことはある。しかし彼らを偶像として崇拝するようなことはない。ロールモデル的なものを設定して、崇拝することの危険性はこんな感じかと。

1:ロールモデルを持ってしまうとその存在を超えられない
2:その人のようになるべく、本来の自身の個性を殺しかねない
3:ロールモデルと自身のギャップに苦しむことがある

本稿の中で、「高城剛病」=「ロールモデルを持ち、崇拝したがる人」の比喩なのだが、なぜ人はロールモデルを持ち、崇拝したがるのか。現状の自分にきっと満足できていない。自分を認められていないのではないか。

誰かの背中を追い続けることは、満たされない欲望を追い続けることと一緒ではないか。そのロールモデルを目指し、近づく必要はないんじゃないか。ロールモデルが言っていることを、無理矢理腹落ちさせようとしていないか。自分の頭で考えているのか。「高城剛が好きな自分」がカッコ良く感じられるだけなんじゃないか。

「カツマー」が流行った時、私は学生だったが、同級生で「カツマー予備軍」的な女性がいたことを覚えている。私の同級生なので慶應義塾大学商学部。就職先は国内大手証券会社。資格頑張って取らなきゃ!的な感じで、日経Womanやアソシエを読んでいる感じ。勝間さんも奇遇にも慶應商卒だが。

勝間さんになれるほどの頭のキレはその同級生からは感じなかった。でもなんとなく「カツマーな香り」がした。頑張ってもそうなれない人を目指すのって、しんどくないか?ロールモデルに憧れる層というのは、そういう第一線級になるには少し何かが足りない層なのだと思う。だからこそマーケットボリュームがあり、「自己啓発系著名人ビジネス」という市場が成立する。

著名人の方々が情報発信することに対して「煽るな!」とか指摘する野次馬たちがいるが、情報発信すること自体、私は全然良いと思う。むしろ受け取る側のリテラシーに問題があると思っており、情報発信する側を批判するのはお門違いである。

現に学生時代、私の周りでは「カツマーにはなりたくないが、勝間さんのマーケティング力は凄い。見習うべき点がある」という結論に至っていた。著名人ビジネスからはそのブランディング方法を学ぶべきであり、その著名人を崇拝してしまっては、著名人ビジネスの餌食になるだけである。

なので25歳前後の男性に多い高城剛病な皆様は、自分自身の個性や強みと向き合い、ロールモデルを目指す必要がないことに早く気づいて欲しい。現在28歳の私にも、きっと何かを目指し、もがき苦しんだ時代があった。今は誰かと比較して苦しむことはない。確固とした自分を築こうと、自己と対峙するのみである。表層的に誰かの真似をする生き方では、幸せになれないのではないか。

ちなみに高城剛病的な人物へのヒアリングとして、友人であるグラ男に聞いてみたところ、「ロールモデルとして完全にコピーしたいわけではないが、生き方の一つの指針になる。一種の宗教のようなもの。と言えなくもない」とのことであった。

高城剛氏は「自己との対峙」の重要性を提唱しているが、高城剛病な皆様にとって「自己との対峙」で気づくことは、「高城剛氏をロールモデルにすべきではない」という皮肉な事実ではないだろうか。人生において、ロールモデルは不要。ということだ。

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