ロールモデルの存在は必要ない

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インタビューを受ける立場の人や、そこそこ質問される立場の人であれば誰しもが一度は経験があると思う。

ロールモデルっていますか?

いてもいなくてもそれはその人の自由なのですが、僕にロールモデルとなる存在はいません。

あまり社交的ではない僕ですら、両手まではいかない程度の人数の尊敬すべき先輩方とのお付き合いはあり、リスペクトしているからこそ関係性が継続しています。(お相手からすると自分がバリューを提供できているのかなとは思う。汗)一方で、今はさほど会うことはなくても、やはりあの方は凄い方だったなと振り返る機会も時折あります。

尊敬こそすれども、彼らは僕のロールモデルではありません。

ロールモデルとはその人のような人生を目指すことを指し(その人の一要素に近づきたい、という解釈もできます)なんだかコピーっぽいんですよね。

つまらない。

あの人のあんな能力は真似したい。手に入れたいと思うことは全然良いでしょう。しかし「ロールモデル」というワーディングにした途端、陳腐に感じてしまいます。

ロールモデル

まだ「ベンチマーク」というワーディングであれば腑に落ちます。年上の素晴らしい先輩をベンチマークし、こういう点は見習いたいなと感じ、時には模倣し、自らの要素に落とし込んでいく。しかし、それは完コピではなく、マッシュアップであるべきで、様々な要素の組み合わせから、オリジナリティを高めて唯一無二の存在になるための考え方であるべきだなと思います。

現に僕と似た立ち位置の現状はあまりいないと思います。

キャリア的にはスタートアップのメディア運営(サロンを含む)と投資買収関連と、東カレのようなライフスタイルメディアの運営をやってきました。社会人7年目ですね。来年以降はよりライフスタイル系を手がけてみたいというか、旅館のリブランディングとかやってみたいですね。知人に「次はそういうことをやってみたら」と言われ、それいいじゃん。と思いました。

メディアからライフスタイルへのアプローチはできているので、リアルからのアプローチを次はやりたいですね。旅館のリブランディングに関しては、小山薫堂氏と日光金谷ホテルのような座組がベンチマークとなります。

話が逸れましたが、「ロールモデル」で検索してみたら1位がこの記事でした。

東洋経済オンライン:ロールモデルは不要、百害あって一利なし

この記事を見るとお説教は百害あって一利なしとありますが、たしかに説教されることはないなあ。。年上の方々でもみなさんフラットに接してくださることが多いです。

自分と似たような考え方だなと思います。人のキャリアを見ていても、面白みがないキャリアだなというか、なんかいい感じのビジネスパーソンの本でも読んでそれをなぞりたいだけなんだろうなというキャリアの人って多く見かけます。

ビジネス書を出すような人のキャリアは、その当時は破天荒で、それこそロールモデルなんて持たない人のキャリアが、後から振り返ると人々からロールモデルにされやすいんだと思います。ライフネットの岩瀬さんのキャリアに憧れる意識高いビジネスパーソンは多いのだと思います。(もちろん岩瀬さんを批判しているわけではなく、岩瀬さんを模倣したがる人が一時期多かったことに対する批判です。実は学生時代の私にもそんな一面がありましたが、そこまでエリートではないのですぐに無理だと悟りましたよw)

ということで、ロールモデルを持つ必要はないのではと。持っていても構いませんが、ロールモデルを持つとその人を越えられないと思います。孫正義をベンチマークする、くらいの感覚であれば問題ありませんが。先人の良い点は取り入れ、それを自分流に昇華させることが一番だと思います。



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