表面的な愛は気持ちが良く、本質的な愛は心が痛む

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とある起業家とウェスティンの朝ブッフェで語らったことを。

世の中、「表面的な愛」が好きな人が多い。という見解が一致しました。

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表面的な愛とは何でしょうか。何かで失敗した時。たとえば下方修正してしまった時としましょう。そういった時に「大変ですねー。でも信じてます!頑張ってください」とか普段特に仲良くない人からメッセージが来る。これが表面的な愛です。普段仲良くないのにピンチの時だけ同情する。これ、気持ちいいんですよ。

この手の「表面的な愛」を相手に与えた経験は誰しもが一度はあるのではないでしょうか。そしてこの表面的な愛を与えることは案外「俺、いいことしたかも!」と思っちゃったりして、気持ち良くなってしまうことがある気がします。しかし、表面的な愛を与えられた側に立つと、その時は気休めになるかもしれませんが、特に何の意味もありません。

一方で「本質的な愛」とはなんでしょうか。「下方修正かー、やっちまったね。でも次はこうすればいいんじゃない?」と具体的な示唆や叱咤激励をくれるようなこと。与えられる側にとっては結構耳が痛いことを言うこともあり、こういった愛を与える側は気持ちいどころか「いやー、言いたくないけど。心が痛むけど・・言わなきゃ!」みたいな感じで、痛いんです。

表面的な愛は気持ち良く、本質的な愛は心が痛い。

自分にとって厳しいことを言う人は二種類います。ただ野次って気持ち良くなりたいだけの人か、言うのは心が痛いけど、他に誰も言わなそうだし言ってみるかという人。前者は無視でいいです。そこには大抵建設的な意見はありません。後者は耳を傾ける価値がある場合があり、そこを聞き逃してはならない。

インターネット上の厳しい意見のほとんどは野次であり、愛ではありません。NewsPicksのコメントは9割が暇人の野次です。ですが、インターネットでもごく一部に本質的な愛を感じられる意見もあり、そういう意見は耳を傾けたほうが良い。直接会う人の方が、厳しいことを言ってくださる人の比率が高いのは明らかですが。

相手のことを中長期的に考えると、心が痛むことを言うのが本質的な愛であり、表面的な愛は伝える自分が気持ち良くなりたいだけ。相手に痛いことを言って関係が崩れるのであれば、その程度の表面的な人間関係。

意外に世の中、愛と見せかけたオナ○ストが多いですよね。表面的な愛が好きな人が多いのは、本質的な愛は痛いし心地良くないこともあるので、そうしたリスクを取りたがらないからでしょうね。

相手に対して痛みを感じることができれば、本質的に愛せている証拠なのかもしれない。痛みを感じないただの野次は何も生み出さない。



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