私自身はあまり教育に関心がないのですが、周囲の人々の思考や行動を見ていると、その人に対する過去の教育が与えてきた影響は大きいのだろうなと感じます。
私は父が高校教師で、放任主義。勉強しろと言われたことは一度もありませんでした。ゲームをしすぎても怒られることはなく、お菓子の食べ過ぎは少し怒られたくらい。
大人になってから話を聞くと「教育しないことが教育方針だった」とのことで、これは考えてみると、「これをやりなさい、あれをやりなさい」と言われることはなく、全て自分の頭で考える癖が子供の頃から身に付いたのだと思います。そういう意味では、親に感謝ですね。
通常?の教育は「〜をしなさい」的な命令的な教育が多かったのではないでしょうか。勉強しなさい。苦手科目は克服しなさい。ピーマン食べなさい。ピザポテト食べ過ぎちゃダメ。
この「命令的教育」で出来上がるのは「標準的な子供」ではないかと思います。大抵の命令の尺度が「その分野の社会の平均値以上」を取れという感じだと思うので。
そしてしつこいですが「標準的な人材」はこれからの時代非常に厳しい状況になっていきます。ワーキングプアの道、まっしぐらでしょう。
なので楽観的な話ではなく、特にこれからの時代は「いかに好きなことに没頭させるか、好きなことしかやらせない」という教育の方が、その子供の将来のためになるのではないかと思います。
ウイイレというゲームばかりして夜更かししている中1の子供がいたとしましょう。普通の親は「ゲームばかりしないで、勉強しなさい!」と言うでしょう。しかしここで「今日もゲーム5時間か!頑張ってるな。ぜひウイイレの世界大会を目指してくれ。ついでに、youtubeでゲーム実況とかしてみようか?お父さんも参加するよ」と叱咤激励するような教育の方が、良いのではないかと思うのです。
好きなことを徹底してやらせる。
好きなことを見つけられる環境を整えてあげる。
苦手なことは克服しなければならないという思い込みをさせない。
苦手なことの克服に時間を費やして、好きなことに割く時間を削減したあまりに、才能が伸びきらず平凡な人になってしまうことは少なくない気がします。
「好きなことしかやってはいけない」というのは、一見甘やかしているようで、最も相手のことを考えた本質的な教育だと思います。
苦手の克服を押し付けた結果、なんの特徴もない凡人に育ってしまうと、平凡な人生で終わってしまう。
そんな平凡な人生をその人が臨んでいるのであれば構わないのですが、子供により良い人生を送って欲しいと願うのであれば、特にこれからの時代は「好きなことしかさせない」という教育が大切になってくるのではないかなと思いました。