ライターに告ぐ:本当に書きたい記事を書いていますか?

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伝えたくなるストーリーを提示するのがPRの仕事を書いていて頭に浮かんできたのですが、1記事にまとめきれず、別でポストします。

テック系メディアが選定するネタに対して違和感を覚えています。その違和感を言語化できそうなので残しておきます。またもや叩かれそうな記事ですが、スタートアップ系メディアと事業者を取り巻く環境に一石を投じてみたいと思います。要約すると「リリース記事に対する批判」と受け取っていただいて構いません。

ライターに告ぐ:それは本当に書きたい記事ですか?

拝啓 大手テックメディアのライターのみなさま
   本当に書きたい記事を、書いておりますでしょうか?

私のような個人メディアと大手メディアの特性の違いもあるため、捉え方の違いはあるかもしれません。個人メディアでは数字がとりにくく、かつコモディティネタは避けたいというのが私の判断です。しかし、大手テックメディアのライターの皆さんは本当に書きたい記事を書いているのでしょうか?特にリリース記事に関して、自分も書いたことがある経験から、疑問に思いました。

もちろん独占ネタや自分が注目しているサービスであれば、書きたくて書いているのでしょう。リリースネタがメインのventure nowのような媒体はそれがメインコンテンツでしょうから、それで良いでしょう。しかし、リリースネタにおいて、他メディアから大して内容の変わらない記事が出ることに対して…

1:虚しさを覚えたりしませんか?

2:自分が書く必要はないだろうとか、思いませんか?

3:他誌でも読める内容の記事を読者は求めていると思いますか?

リリース記事はお題が限定されるが故、驚くほど各社似たり寄ったりの記事となります。似すぎていて自分でも噴いてしまったこともあるくらい。

ライターの皆さんは何のために文章を書いているのでしょうか?

私はメディアは読者がいてこそ成り立っていると思います。

「あのメディアはつまらなくなった」と言われるようになったら、下記を振り返ってみると良いかもしれません。

1:自分の書く文章のどこに読者は価値を感じてくれているのか?

2:読者ではなく「取り上げる人」ばかりを見ていないか?

3:人付き合いなどの「惰性」で書いていないか?

おそらく、大して書きたくもない記事を2や3の「人付き合いのため」に書いていたり、フォーマットに沿った「惰性」で書いていることが少なくないのではないでしょうか。

テック業界の書き手はとても少ないので、狭い業界です。私も喧嘩を売るつもりはございません。しかし、折角自分のリソースを投下して書くのに、しがらみで書きたいことではなく大して書きたくないことを書いていたらそれほど虚しいことはありません。

「書きたくないことを書いてるヒマがあるライターなんてそんないないだろ」そんな声が聞こえてきそうで、それならそれでハッピーなのですが、この私の問いに少しでも引っ掛かる何かを感じる人は少なくないのではないかと思います。

事業者に次ぐ:ライターはPR道具ではない

拝啓 事業者のみなさま
   我々ライターは、PR道具ではございません。

もちろん、多くの方はそんなことを思ってはいないでしょう。誠意を持ってコミュニケーションして下さる方は少なくないです。私もメディア側ではなく広報側の実務経験もあるため、メディアとの付き合い方、距離の取り方は難しいと思っています。距離の取り方やネタの魅力で、メディアの対応は「上から」にも「下から」にもなります。

私がいち書き手として最も屈辱を感じたのは、結果的に都合のいいPR道具に成り下がってしまったと感じた時です。具体的な状況としては、リリース記事を書いて、様々なメディアから似た記事が乱発されたとき、私はワン・オブ・ゼムで彼らの道具になってしまったのだと感じます。このような捉え方がライターとして最も悲観的な捉え方だと思いますが、ライターであればこのような気持ちを味わった経験は1度や2度はあるのではないでしょうか?

事業者としては最大のKPIは前の記事でも述べた通り「ポジティブなイメージでの認知の拡大」であるため、出来るだけ多くのメディアに露出することは事業戦略上は正しい判断であると私は思いますし、私が経営者でも露出を最大化する戦略を選択するでしょう。

しかし、メディアを道具ではなく「人」であると考えたとき、書き手の立場に立ってみると、同じネタが色んなメディアで乱発されるのは快いことではないはずだと気づくはずです。リリース記事は似たようなネタになるからこそ、業界最大手は情報解禁タイミングをフライングしてリリースしてくるわけです。

結局は如何にバランスをとるかという無難な話に収斂してしまいますが、 闇雲にメディアに執筆を依頼するのは得策だとは思えません。一つのリリースに対して、書いてほしいと依頼する記者はせいぜい2名くらいまでに留めて、ローテーションするなどが良いかとは思います。しかし、記者も必ず書いてくれるとは限らず、リスクは高まるので、結果的にいろんな記者に声をかけざるを得ないのでしょう。

もう止めませんか?リリース一斉祭り

拝啓 スタートアップ業界のみなさま
   リリース一斉祭りは、もう止めませんか?

注目されている企業のサービスリリースや資金調達ネタなどで、各テックメディアが一斉に取り上げ、TLやニュースフィードがそのネタ一色に染まる現象がたまにあることを、スタートアップ業界に身を置く方であれば体感した経験があるでしょう。

しかし、この「リリース一斉祭り」でWinなのはリリースを取り上げられた事業者側と一部の数字が取れたテックメディアのみではないでしょうか。他誌と大差ないネタを「書かされた」(自主的に出はなく、依頼された場合 )記者、同じネタが何度もTLなどに上がってきて、「飽きたわ」という読者。このリリース合戦はゼロサムゲームのようなものです。

「リリース一斉祭り」には時間を経て、取り上げられた事業者側に不利益をもたらすこともあります。「あのサービス、メディアに取り上げられまくっていたわりにはパッとしなかったね」こんな会話を1度や2度はしたことがあるはずです。サービスの実力が伴わずに知名度だけ上がってしまった場合は、知名度がないサービスよりもある意味惨めかもしれません。

こうしたワーストケース・シナリオの際にはメディアにも一種の責任があると思います。メディアは何を判断基準にそのサービスを取り上げたのでしょうか?取り上げたサービスが鳴かず飛ばずばかりだったメディアはその目利き力を疑われ、読者からの信用を失くしていくでしょう。

メディアのリリース一斉祭りについて、どう思いますか?

リリース一斉祭り現象は簡単には収束しないと思います。「一斉祭り?別に問題ないだろ」という方も勿論いるでしょう。とりわけ事業者側としてはそれがKPIを達成するベストな選択肢であるはずです。私の結論も「バランスを取りましょう」としかいえません。

しかし、こういう論点を提示し、少なくともメディアサイドの一員としては、「こう考えている」と意見を表明しておくことに価値はあるかなと思ったので、別途ポストしてみました。荒れたり、嫌われたりしなければいいんですがねw

取材して一番良かったと思う時は、数字を含めて読者からの反応や、取材対象者から良い感触が得られた時です。読者×メディア×取材対象者がwin-win-winになる記事。そういう時もあります。一方で一番ムカついたのは「取材してくれ」といわれて取材して、その記事を取材対象者がソーシャルでシェアしなかったことです。ふざけやがって、と思いましたね。

大人の世界なので、「書きたいことも書けないこんな世の中じゃ、ポイズンッ」(注1)とは言いません。しかし「書きたくないことを書かなきゃいけないこんな世の中」はあってはならないでしょう。

最近は趣味で様々な確度からメディアについて考えています。

注1:反町隆史「Poison」の「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ」というサビの歌詞から、「Poison」という用語は「○○したいこともできない〜」の略称として特にUmeki世代では暗黙知となっている。



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