2O12 いいね!経済の渦中で

Pocket

6月も終わりに差し掛かった梅雨らしくないカラッとした天気の日の夕方、僕はスパゲッティを茹でていた。スパゲッティのソースを何にするかを、クックパッドで探した。クックパッドはレシピの数が多すぎて、良いレシピに中々辿り着けないが、僕は未だ有料課金はしていない。

クックパッドで適当に見つけたレシピを元に作り上げたスパゲッティを口に入れながら、Google Readerで未読になっているTech Crunchとihayato.newsにザッと目を通した。1日10本も記事を書くのはさぞかし大変だろうに。決して僕に真似できる芸ではない。

スパゲッティを食べ終え、iphoneでいろいろとアプリをチェックする。Pathを開く機会が最近増えていることに気づくが、今日もえんじぇるがPathの中でわめいている。やれやれ。と僕は思う。Pathにはのろけたい人たちの愛で溢れている。せめてLINEかPairでやってくれればいいのに、自分の周りに一部の人にだけ対してのろけたい人は一定数いるようだ。Pathにはリンクもなければ会社の人とも繋がっていない。知らない人からRTされたり侮辱されるmentionが入ることもない。極めて牧歌的で平和な世界だ。2012年に残された最後の楽園かもしれない。

2O12年に入って、人々は急速にFacebookを利用し出した。最近になってFacebookの国内認知率がmixiと同水準になったなどという調査結果も出た。人々は仕事で知り合えばすぐにフレンド申請をし、Facebook上はいまにも溢れ出しそうな承認欲求で交通渋滞を引き起こしている。人々はそれに徐々に気づきながらも、あるいは疲れながらも、そこから抜け出せない。「いいね!」は東南アジアやアフリカでは1円で買えることもある。そんな金で買った「いいね!」に何の価値があるのだろうか。ここは果てしないリンク経済社会だ。

twitterでは今日もユリコカイが海外のネットサービスのリンクを呟くbotを装っている。コカイユリではない。ユリコカイだ。たしかに誤解を生みやすい名前かもしれない。

一通り普段目にするwebサイトを回遊してから、明日レバ刺しを食べにいく店を探すためにRettyに目を通した。「行きたい」していた渋谷の店を思い出したが、予約ができない店であった。そこでtwitterで「渋谷でレバ刺しを食べれる店を」とつぶやいたら「婁熊東京」という答えがあった。あの西谷麗から。食べログで探すとたしかに婁熊東京は渋谷にあった。Rettyはゼロベースでお店を探すにはまだ不十分なのかもしれない。

店を予約して 一息つき、既に書き終えていたブログ記事を1つupした。もちろんtwitterにもFacebookにもシェアした。珈琲を飲みながらクライアントに提出資料を作り、1時間くらいしてtwitterとFacebookを見てみた。

「いいね!」が1つもついていない!?

僕は少なからぬ動揺を隠しきれなかった。たしかにこの世界ではフレンド数が多い方が有利な世界だ。フレンド数が多ければ記事は多くの人にリーチし、「いいね!」される確率は高まるだろう。僕は一瞬、闇雲にフレンド申請を拒否したことを悔やんだが、後の祭りであった。

そして僕は「いいね!」の数で評価される社会が足音を立ててすぐ傍に来ているのを実感した。これがあの評価経済社会なのだろうか。「いいね!」は本当に「いいね!」なのだろうか。あるいはそこには少なくはない「よくないね!」も含まれているように僕には思えた。

やれやれ。と僕は思った。

ソーシャルメディアにより良いコンテンツが可視化されやすくなったが、「コンテンツを生み出す人」はこの可視化された「いいね!」経済の中で戦っていかなくてはならない。それは時には煽りや釣りタイトル、あるいは下世話なネタなどの数字を取りやすいコンテンツに走らざるを得ない。

本当に良いコンテンツとは何だろう。

僕は外に出て近所を散歩しながら、写真アプリのmy365を開きながら、その中で繰り広げられるBBQやパーティーの写真に無関心を装った。そして空を見上げ、月の写真を一枚撮ってアプリにupするときにこう名付けた。

悪くない日

この世界でどう生きていくのか、この世界は今後どうなっていくのかをもっと考えなければならない。そんなことを考えながらベッドに入り、おはようパンダで「おやすみ」と投稿しても1時間以上眠れなかった。



Pocket

コメントを投稿する

「2O12 いいね!経済の渦中で」に対してのコメントをどうぞ!