テックメディアの功罪とメディアの理想のバランス

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最近、メディアについて考えている。ベンチマークとして大手のテックメディアや周りの個人ブロガーをウォッチしているが、思うところがあるので問題提起をしたい。

メディアはネタを選別する「選球眼」を持つべきである

メディアは一定のコンセプトや色があるからこそ読者を獲得しているはずである。各メディアのコンセプトに沿ったネタを取捨選別する「選球眼」を持つことがライターに一番求められるスキルであろう。

読者は「そのメディアに期待している情報」を記事を通して得たいはずである。そのニーズも顕在化したものと潜在的なものがあり、実際に読者にヒアリングしたり、今まで出した記事に関する反応を見てPDCAを回す。メディアコンセプトが大枠でぶれないように考慮しつつも、記事によってはターゲットを柔軟に変える必要性も時にはあるであろう。

メディアは伝える価値のある情報を発信する。それが全てである。ブログは自分の好き勝手に情報を発信する。極論するとメディアとブログの最大の違いはそこにあるのではないか。特に大手メディアにおいては「伝える価値のある情報」か否かの判断が重要である。The Startupはメディアとブログの中間であろうが、ややメディア寄りを志向したいと思う。

私自身、後から振り返ると「伝える価値はさほどなかった」と思えるような記事やサービスもあり、後悔の念に苛まれることがある。「この情報は伝える価値がある」と判断できる「目利き力」が必要であると思う。

だからこそ各メディアには「この情報はこのメディアで本当に伝える価値があるのか」 を再考してほしい。限られた時間の中で読者は価値のある情報を期待している。PVなどの自分のKPIを満たすためのマスターベーションでは読者はますます離れていく。これは書き手が常に抱える問題であると思う。この問題を提起した私自身も悩んでいる問題である。

メディアが伝えるスタートアップの記事に価値はあるのか

特定のスタートアップのサービスを取り上げることについて、最近気になっている。スタートアップにとっては大手メディアに掲載されることが一種のブランドとなっている風潮があり、メディア側としては特定のサービスの扱いに悩むことは少なくないのではないだろうか。ニュース性や記事数をKPIとするメディアは新しいサービスを多数紹介するだろう。だが読者が知るに値する情報である場合もあれば、そうでないものも多数ある。

スタートアップはそもそも知名度がないため、大手メディアで市場にウケる見え方で紹介されることで、知名度が跳ね上げるケースがある。そのサービスが相応の実力や可能性を秘めた「広く知られるべき情報」であり、「読者が価値があると感じた情報」である記事は高い価値を生み出し、サービスも読者もWin-Winとなるのがテックメディアの「功」の側面だ。

一方で大手メディアは単体でそれなりのトラフィックを持っているため、そこに取り上げられただけで少し知名度が上がるのは事実。プロダクトの実力が伴っていないのに必要以上にメディアに取り上げられることで、知名度だけが一人歩きし、その後そのサービスは伸びない。知名度と実力の乖離を助長する、テックメディアの「罪」の側面といえる。

3つの要素をベースとしたメディアの理想のバランス

この「罪の側面」は読者にとって「価値のある情報」とならない場合が多く、サービスにとっても後々「知名度と実力の乖離」を引き起こすため、悪循環のスパイラルとなるのではないか。メディアがサービスを扇動した結果、サービスが上手くいかなかった場合は、メディア自身のレピュテーションリスクにもなるであろう。そもそも上手くいなかったものを読者は覚えてはいないであろうが。

とにかく新規サービスを紹介するというメディアコンセプトであれば仕方がないが、メディアも取り上げる記事に責任を持つべきだと私は思う。その姿勢の有無で、自己のKPI、読者、取り上げるサービス、どれを重視しているのかがわかるだろう。バランスを取って信頼性のあるメディア運営を心掛けたいものだ。図解するとこういう理想論となる。

メディアに関わる人々は特にスタートアップから「書いてくれ」と依頼されるケースが少なくないだろう。だが、自分の選球眼を信じて、本当に良いと思えるサービスだけを取り上げる。その地道な積み重ねがブランドの構築に繋がるはずである。私は上記の絶妙なバランスを取ることに頑にこだわり、選球眼を磨き続けたいと思う。



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