メディアの中立性という幻想、そして独立性

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メディア論は不人気ネタで、まず数字が取れないことはわかってはいますが、最近思うところがありすぎたので書いておきます。

The Startupは特定のサービスを支持している。という指摘?が出回っているようです。まず、本誌のスタンスに関しては開始当初から「著者の独断と偏見によるメディア」と定義しています。各所から圧力がかかっても、一度もこのスタンスを崩したことはありません。一応、分析考察を売りにしているつもりのメディアですから、私の判断を最重要視しています。

一次情報を掲載するだけのメディアではないので、どの情報を掲載すべきかという点にも意味があり、その判断はリスクを取っています。たまに「何人で書いているんですか?」と聞かれますが、本誌は梅木雄平100%によるメディアです。

ところが最近「あのサービスをひいきしている」とかそういう声がチラホラ聞こえてくる。市場がThe Startupに中立性を求め出したということは、それ相応の影響力があると思われ始めた。とポジティブに捉えることもできる。どこかのサービスがポジティブに書かれることで被害者意識を持つ人がいるし、ネガティブに書かれればもちろんダイレクトに被害者意識を持つ人もいる。

市場が個人メディアに中立性を求めてくる。

これは面白い論点だと思いました。

私からすれば、とんだお笑い草です。

中立性という観点を考えるのであれば「パブリックかプライベートか」という議論もあるでしょう。プライベート・メディアとして開始したThe Startupですが、影響力が上がりすぎて市場はパブリック・メディアとしての運用を求め始めたといえるのかもしれない。The Startupがパブリック・メディアだって?冗談じゃない。

しかし、当人の感覚と市場の感覚にズレが生じてきているのかもしれない。影響力やブランド価値が蓄積され、市場はThe Startupをパブリック・メディアとして誤認し始めているのかもしれない。たしかに打倒、Tech Crunchと言ったかもしれない。だが、パブリック・メディアを意識しているのであれば、料理合コンのレポート記事など公開したりはしない。

読者はメディアに幻想を抱いている。

読者は期待を抱いたメディアに裏切られた時、そのメディアを批判する。

一定の読者はThe Startupに中立性を期待したのかもしれない。

世の中のメディアに、中立なメディアなどほぼないだろう。

読売新聞は巨人軍をひいきにする。

いかなるメディアも、編集長のエゴが強ければ強い方がいい。

情報を正しく伝える。それは他の誰かに任せておけばいい。

その人にしか切り取れない角度、その人にしか出せない音で、紡げばいい。

それが編集権の独立というものではないか。

時に誰かに批判され絶望し、時に誰かに共感され、歓喜することもある。

読み手がどう受け取るのかは自由だ。色んな解釈があるだろう。

ただ僕は

『ペンは剣より強し』

その言葉を忘れない。



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