またしてもtwitterに餌が。
編集会議の「編集者としての年収」「ライターとしての年収」が安すぎて笑えないな…アンケートを答えた層にもよるけど。
ライターで年収数十万円代は趣味の域だからさておき、1000万プレーヤーがボコボコ産まれていいくらい創造的な仕事だと思うんだけど。それ以上がほぼなさそうで悲しい… pic.twitter.com/DR3pMi2Le0
— 塩谷 舞(しおたん) (@ciotan) 2016年11月6日
ライターはあくまで駒だから労働集約なのでいくら頑張っても1000万くらいが限界だと思うけど。1記事に5-10万かけることはネットメディアでは構造的にほぼありえないし。 https://t.co/fp3bKoqEVV
— 梅木雄平 (@umekida) 2016年11月6日
脱栽培マンのために重要な話なので、記事でご紹介します。
編集者やライターが稼ぎ得る額については私の11月7日朝のツイートでも遡ってご覧くいただきたいですが、人がビジネスで稼ぎ得る価値はその人材の提供価値によって決まってきます。この「価値」の定義の仕方が人によって異なります。ユーザー、ビジネスオーナー、雇われ人。それぞれで異なるのです。WEBメディアでいうとこんな感じ。
ユーザー「この記事超いい!感動した!(でも無料で読んでるので金払ってない。1PVはアドネットワーク換算するとよくて0.2円分の貢献)」
ビジネスオーナー「10万PVか。原稿料3万なので仕入れPV単価0.3円。ギリギリセーフなラインだな」
雇われ人「1,000Likeも取れて感動したって言ってる読者もいるのに、原稿料3万って安すぎじゃない?」
各々の立場で、こう考えていないでしょうか。雇われ人=サラリーマンの言い分としてよくあるのが「頑張っているんだから給料を上げて欲しい」的な話。「その人が頑張った結果として売上に貢献している」のであればまだ理解できますが、「頑張っているんだから」と定性的な抗議をされても困ります。
これは会社=ATMのように給料をくれるところ、年功序列で給料が上がっていく、というファンタジーな仮定に基づいた言説といえるでしょう。当然ながら、会社はあなたのATMではありません。給料upを認めさせたければ、基本的には「現状出している価値よりも高い価値を出す、ないしは現状より上のレイヤーの仕事をする」ことに尽きると思います。
しかしながら、それが求められないことも往々にしてあります。上層部からすると、お前にそこまで求めてないし、できるとも思っていないという話です。
ネタとして面白い話かと思い紹介しますが、私は新卒当時非常に頭でっかちな生き物でした。頭がいいとは思っていないですが、新卒の会社の現場の人々より確実に頭脳は良いと思っていました。(端的に言うと現場の人を馬鹿にしていました)よって現場の仕事を舐めていたのです。
現場を舐めて、戦略レイヤーの仕事ばかりしたがる。新卒を配属する役員会議ではどの部署からも「梅木だけはいらない。嫌だ」と言われていたそうです。こんな面倒くさい現場の奴はいらないし、仮に戦略レイヤーの仕事ができたとしても、求められていなかったのです。私に限らずこういうクソな新卒って1-2%はいるのではないでしょうか。この手の戦略ワナビー新卒は入社直後は伸び悩みます。私は全然ダメでした。栽培マンとしても、下等栽培マンです。
横道に逸れましたが、本題に戻りましょう。オーナーと雇われでは簡単にいうとこのような違いがあります。
オーナーは価値に対価を支払う
雇われは頑張りに対する対価を求める
ここでいう「オーナーが考える価値」とは一例を平たく言うと、PLインパクトがある仕事しているかとか、その事業体の価値向上にどれだけ貢献したか、です。上記の例でいうと、10万PV取る記事を書くより、10万PV取り続ける仕組みを作る人の方が価値があります。再現可能性が高く、メディアのPVが安定するからです。
頑張りに対する対価とは「今回10万PV取ったよね!だから給料upしてね」という話。これが続けて「今まで平均5万PVだったけど平均10万PVに上がりましたけど」であればupに値するでしょう。この例は具体的数字が出ているのでまだマシな話で、「頑張っているがオーナーから見ると大した価値が出ていない状態で給料upを求めている」サラリーマンって少なくないと思います。私もそういう時代がありました。
そして「コスト感覚」に基づく発想だと、自分がもらっている給料はどこから支払われているのかを必ず忘れてはいけません。多くの場合は売上からです。メディアビジネスであれば広告かユーザー課金。BでもCでもComsumer is Bossです。売上が低い状態でたっぷり給料もらっていると居心地がちょっと悪くなりますね。資本金食いつぶしてるな的な。
売上がこれくらいで、それに対する自分の貢献はこれくらいで、だからこれくらいの報酬になる。それが妥当な価値の考え方です。冒頭のしおたんさんの「ライターは創造的な仕事なので年収1,000万がボコボコ」的な話は、コスト感覚に基づいた発想ではなく、希望的観測にすぎません。原稿料5-10万円支払えるウェブメディアが日本にたくさんあれば別ですが、その高コストを吸収し得る収益性の高いウェブメディアは2016年の日本においては非常に限られています。
なので、ライターの報酬を上げたい。という想いがあれば、稼げる媒体を作り出して、そこに集うライターの報酬が1本5万くらいであっても十分に経営が成り立つ状況を作り出すというのが、最も思いやりのある行為ではないかと思います。私にはそういう想いはありますけどね。
例として良いと思ったので取り上げましたが(しおたんをいじめたいわけじゃないですよw)、栽培マンは報酬に対して「希望的観測」であったり「ノーロジック(俺、頑張ってるもん)」的発想に陥りがちです。例えば金融業界は金を流しているだけなのに報酬が高いとか言われていますが、その方が1本の記事を書くよりも、確実に儲かるからです。儲かった結果として、配分を受けているだけです。
M&Aなどその最たる例で、見込みクライアントに「この企業買ったらいいと思うんですよね、理由は〜」というところから入るわけで、クライアントは「M&Aはしたい」と思っていても、具体的クライアントとPMIの絵まで思いついていないので、アドバイザリーが提案する。そしてそれが実現して、クライアントの売上が倍々ゲームになる可能性があれば、相応の報酬を得る「価値」は出しているわけです。ビジネスオーナーに与えるインパクトが、段違いに異なるわけです。
様々な立場の例を紹介しましたが、「報酬」について考えるときに「提供価値」と「コスト」の関係を必ず考えるべきです。そこに頭が回っていない栽培マンが多そうだと思ったので、強めに主張しておきました。
「売上」に結びつかない、生産性が低い会議であるとか、アポに無駄に同行するとか、そういう輩もコスト感覚がありません。自分の1時間は理論上いく稼ぐ必要があるか、定量的に判断する癖を身につけた方がいいです。私は毎月クライアントごとの時給を計算していた時期もあります。
私は価値がないと思われれば、どうぞいつでもクビ切ってくれという発想です。そういう考えで働くことと、会社をATMだと思って働く人、どちらの人が価値を出せるでしょうか?