評論家は本当にゴミなのか?

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毎度ストレートな物言いで恐縮なのですが。

最近は事業もやっているのであまり言われないですが、本誌も7年目となり、当初から好き勝手に書いているのですが、たびたび「あいつはただの評論家だ。あんな奴の言うことは聞かなくていい」と陰口を言われている?(陰口というかtwitterとかだと陰でもなんでもないか。)のを見たり聞いたりしたことがありました。

その時にセットで語られるないしはニュアンス的には「評論家は口だけで何もしていない!あいつは何も世界を変えてないじゃないか!」という批判を感じてきましたが、そんなに事業家が偉いのだろうか?とふと思ってこの記事を書いています。

はっきり言って一番ゴミなのは、事業に失敗する起業家や事業家ではないでしょうか。

起業家の場合、彼らはお金を集めて人を採用して、事業が失敗して、人をリストラして、投資家にお金も返せなくなる。

起業家の失敗に日本はもっと寛容になるべきだ!という意見もよく耳にしますし、それも一理あると思うのですが、適当な起業家が増えすぎやしないだろうかというのも最近感じています。

評論家はたしかに事業をやっていないかもしれませんが、口が悪い人が多いとはいえ、実は親切な人が少なくない気がしています。

評論家が「このサービスはこういう理由で失敗すると思う」というのは、評論する人によると思いますが、案外間違ってないこともあります。それを起業家が聞くか否かはもちろん自由ですが、なんというか「評論家」というポジションはとても日本社会では生きにくく感じます。

評論家

自分で事業やってないくせに偉そうなこと言うな!が大抵の批判フォーマットですが、それはコンサルティング業務を完全否定しているとも言え、コンサルティング業務はそれはそれで需要があるし、必要なものだと思います。

私自身が「あいつはクソな評論家だ!予想も当たらないしな!」と批判されるのは一向に構わないのですが。(最近はその手の批判すらされなくなりました。サロンやnoteの課金者数を見ると、あながちクソだとも思われていないのかもしれません)

「評論家」自体がクソだと言われてしまい、会社を潰し従業員をリストラし投資家に金を返せないような起業家が「どんまいどんまい、次々!」と奉られるのは、なんとも違和感を覚えます。

そんなクソな起業家たちも、評論家の言うことに耳を傾けていれば、最悪の自体(倒産や清算)は免れることができたかもしれません。

評論家はゴミだ。あいつら何も事業やってなくて口だけだ。という短絡的な批判って、耳に覚えがある方が少なくないと思います。

評論家はゴミで事業家や起業家が神という二元論はおかしなはなしで、ゴミな評論家と良い評論家、ゴミな起業家と良い起業家がいるという認識がもっと持たれると良いなと思います。

10億円以上調達してうぇいうぇいドヤ顔でメディアを賑やかした起業家も、ニッチもサッチもいかなくなり、ドナドナし出していることもあるのです。

私は7年くらい適当にいろいろ書いていますが、その感に「ニュース記事」を書く人は出てきても「オピニオン記事」を書く人は全然出てきていないと感じます。それは「評論家はゴミ」的な風潮と全くの無関係ではない気がしました。

もちろん評論家を賞賛せよ!と言っているわけではなく、それなりに意味がある提言をすることもあるはずなのに、どうもプレゼンスが低いので、プレイヤーが増えない気がしています。そういったポジショニングの中で私は戦っているので、競合も増えずにイージーゲームになりやすい構造ではあるのですが。

早くから目をつけて、一つの指標として評論家的存在を認めてくださる方もいらっしゃいますが(感度の高い起業家に多いですね)、私の気のせいなら良いのですが、「評論家は事業やってないからあいつらのいうことは聞かんでいい」フォーマットは、なんとかならんものかと思います。叩かれたくないし、おいしくないから、オピニオンを言う人が増えないのです。

この記事を読んでもなお「評論家はやっぱりゴミ」なのかとか、「起業家は会社潰しても価値ある存在だ」など、様々な意見を聞けると良いなと思っています。

本質的には、「誰の言葉を信じるか」に尽きると思いますが。



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