起業家のお友達が多いので、普段からそこにいると気づかないのですが、栽培マン的なお友達と接すると気づけることがあります。
起業家は「こんなのあったらいいよね!」という話がすごく多いですし、実際に自分がそう思ったことの一つを事業にしている場合が多い。これは言い換えると、「ドラえもん力」なのではないかと。
こんなこといいな できたらいいな
あんなゆめ こんなゆめ いっぱいあるけど出典:ドラえもんのうた
起業家以外の人種はこういった想像力に欠けていたり、「こんなことは無理、いやいやできない。あんなゆめ、こんなゆめ、叶うわけないけど」という発想に陥りがちな気がします。
【起業家同士の会話】
「こんなことあるといいと思うんですよね」
「いいっすね、やりましょう!応援しますよ」
「とりあえずやります!世界を変えましょう!」【栽培マン同士の会話】
「こんなこといいと思うんだけど、いやあちょっと難しいよな」
「そんなことできるわけないじゃんw お前アホじゃないの?」
「そうだよな。いやいや、俺が悪かったよ。やめとくわ」
最近流行りのnoteの例もわかりやすいかと。
【良い例】
梅木「3,000円のnoteが400冊売れたよ、次は1万円で売るぜ!」
誰か「おお、それは素晴らしいチャレンジだ。応援するよ!」
梅木「やってみるよ!1日でとりあえず30冊は売れたよ。1万円でも売れることは売れるんだね!」*1日で30冊売れたのは事実です。そのnoteはこちらからどうぞ。
【悪い例】
梅木「3,000円のnoteが400冊売れたよ、次は1万円で売るぜ!」
誰か「は?1万円?誰がそんなもの買うの?お前、バカじゃない?」
梅木「そ、そっか・・。じゃあやめとくか・・」
日々、こういったことの積み重ねで、差はどんどんついていく。
起点となる人の(上記の各々の例では会話文の最初の人)マインドも重要なのですが、それを受け止める人も大切で。周囲にどんな人がいて、誰と日頃コミュニケーションを取っているのかってすごく大事ではないかと。コミュニケーション相手がストッパーになってしまう場合(昨今話題の「嫁ブロック」なるものとか)もあれば、起点となる人の考えを加速させてくれる場合もあります。私の高校生の時に事例を出してみましょう。
【実際の例】
梅木「(自分の偏差値が低いのに)慶應大学に行きたい」
両親「好きにしなさい。できることは支援するよ」【ダメな例】
梅木「(自分の偏差値が低いのに)慶應大学に行きたい」
両親「あんた本気なの?(偏差値40台の)旭川大学にしなさい」
ダメな例は「現実を見ろよ」という主張で、相手のアップサイド、可能性を信じていないんですね。上記は非常に単純な例ですが、こういうコミュニケーションって会社の中でもプライベートでも少なくないと思うんです。
クリエイティビティとは、想像力である。
という言葉をたしかWIREDでラクスル松本CEOが語っていたのを読んだ気がするんですが(ググってもその記述出てこなかった)、この言葉がすごく印象に残っていて。いい言葉だなって。
こんなことを書きつつ、自分も知らず知らずに「いや、それは無理じゃね」という発想に陥ってしまうことはあるし、相手にそういう考え方を押し付けてしまっていることもあると思う。私はマイナス思考な超リアリスト。実は相当保守的なんです。だからこそ、私が評価する企業とかサービスってある程度信頼が置ける。辛口の人の評価だから。と言われることもある。闇雲に褒めることはしないし「これがくる!」とか言わない(ただし、そう言って外したことはもちろんあるw)
理想としては、厳しめにネガティブに考えることと、楽観的にポジティブに考えること、その両極端の思考が常にできること。ベストシナリオとワーストシナリオを並行して想像すること。このバランスが取れている人はほとんどいない気がします。人はたいていどちらかに偏っている。
ということで、皆さん自分の「ドラえもん力」を振り返ってみてください。
厳密にいうと「あんなこといいな」って言ってるのはのび太くんであって、のび太くんはビジョンを語るCEO、ドラえもんはそれを解決する実行部隊、COOのような位置づけでしょうか。
こんなこといいな できたらいいな
あんなゆめ こんなゆめ いっぱいあるけど
みんなみんなみんな かなえてくれる
ふしぎな審査で かなえてくれる
お金を楽に 稼ぎたいな
「ハイ!上場ゴール!」
アンアンアンとってもだいすき ドラえもん