オリジナリティについて

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村上春樹の新著「職業としての小説家」の第四章のタイトルが「オリジナリティについて」である。

本誌の読者に書き手側にも属する読者は限りなく少ないであろうが、書き手(ないしは表現者)にとってオリジナリティというものは避けて通れない議題であり、そういった点においては、この書籍をしっかりと読んでおくことをお勧めする。

特にキュレーションメディアやコピペメディアの編集者は爪の垢を煎じて飲んでいただきたい。

haruki

まずは、村上春樹が定義した「オリジナルの条件」から論を進めよう。

<オリジナルの条件>

①:ほかの表現者とは明らかに異なる、独自のスタイル(文体)を有している。ちょっと見れば、その人の表現だと瞬時に理解できなくてはならない。

②:そのスタイルを自らの力でヴァージョン・アップできなくてはならない。時間の経過とともにそのスタイルは成長していく。いつまでも同じ場所に止まっていることはできない。そういう自発的・内在的な自己革新力を有している。

③:その独自のスタイルは時間の経過とともにスタンダード化し、人々のサイキに吸収され、価値判断基準の一部として取り込まれていかなくてはならない。あるいは後世の表現者の豊かな引用源とならなくてはならない。

村上春樹の受け手としてオリジナル体験にはこんなものがあったようだ。

ビートルズの『プリーズ・プリーズ・ミー』はこれまで耳にしたことのないサウンドであり、しかも実にかっこよかった。

オリジナルは時代を経ると「古典」となり「レファレンスされる対象」となる。そのような評価が確定したものを後から振り返ることは難しくないが、同時代に評価することの難しさを村上は説いている。

村上自身、多くの文芸批評家から嫌われ、批判されてきたらしい。彼の文体がオリジナル性が高いことはいうまでもないが、そんな彼のオリジナルな表現形態が同時代にどういう評価を受けるか、という視点は興味深い。

オリジナルな表現形態は同時代の人の目には、不快な、不自然な、非常識な、場合によっては反社会的な、様相を帯びているように見えることが少なくない。

多くの人々は自分に理解できないものを本能的に憎む。特に既成の表現形態にどっぷり浸かって、その中で地歩を築いたエスタブリッシュメントにとって、それは唾棄すべき対象になり得る。下手すると、自分たちの立っている地盤を突き崩しかねないから。

この構造、実に身近で起きている事象がある。イケダハヤトに対する一般市民のリアクションそのものではないか。あるいは、僕にすら時折こういう反応は寄せられてくる。

もちろん、多くの批判を受けていることイコール、オリジナリティが高く将来的古典化されることであるとはいわない。しかし、多くの批判を受けるということは、(一石を投じる程度のことであっても)人々に価値観の転換を迫ることが、響いた結果であるといえる。

基本的に多くの人、特に年寄りになればなるほど、新しい考え方を受け入れることは難しくなる。ここでいうと既成の表現形態にどっぷり浸かっており、新しい表現形態を受け入れることは、アイデンティティの崩壊を意味しかねないこともあるからであろう。だからこそ、彼らはアイデンティティ崩壊を防ぐためにも、オリジナリティの高い表現者を攻撃する。皮肉なことに、どれくらい攻撃を受けるかとオリジナリティは比例関係にあるようにも思える。

僕なりの見解でいうと、世間の判断の尺度から逸脱することがオリジナルの条件の一つであるとすら思う。

例えば、食べログかて今でこそ定着しているが、「飲食店を客が3.5などとレーティングするとは何事だ!」と怒った飲食店は少なくないだろう。今までにない新たな価値の尺度を築いたことが、食べログの最大の価値の一つである。

The Startupではファンドリターンというコーナーがあり、VCの投資先のリターンを予測し、各企業に「回収不能」判定をすることがある。実はこのコーナーは批判よりは賞賛が多いのだが、Facebookなどでバズることはほぼない。「回収不能」と知人の企業が書かれた記事をシェアすることは憚られるからだ。しかし、VCのビジネスモデル上、回収不能案件が出てこない方がおかしいし、メディアが「この企業は回収不能です」と書いてはいけないルールもない。これは僕が確立したオリジナリティの高いフォーマットの一つだと思っています。

既成概念にとらわれない、尺度を提示すること。

タブーと思われることに踏み込むこと。(これをTheStartupでは「ペナルティエリア内での勝負」と称する)

文体という観点では、僕の文章も人によっては僕が書いたとすぐわかるようで、そういった意味ではオリジナルの条件①を満たしている。③は遠い未来のこととして、次は②のヴァージョン・アップ力を磨いていかなくてはならない。

オリジナルの文体を見つけ出すには、「自分に何かを加算していくより」はむしろ、「自分から何かをマイナスしていく」という作業が必要とされるみたいだ。

村上はこういっている。何を削れば文体の切れ味が増すのか。その結果、オリジナリティが高まるのか。なかなか難しいアジェンダであるが、これを意識して取り組んでいきたい。



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