解釈の余地が大きい記事は、自分に都合良く解釈する人が多い

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僕は意図的に文章をガチガチに縛らず、いかようにも解釈できる「余白」を置いた記事を出すことがあります。抽象的な問題提起のみの場合もあれば、わかりやすい比喩を交えることもある。

通常のニュース記事というのは解釈の余地が限定的なので「ああ、そうですね」「へえーすごいですね!」「誠に遺憾ですね」程度のバリュエーションとなる。

しかし抽象的な問題提起は答えが一つではなく複数あるため、様々な意見を炙り出せるのが面白い。解釈の余地を大きく残すことによって、バイラル性を高めるというのが僕ならではの計算です。

最近The Startupの記事にコメントが多く入るのは主にNewsPicksで、一応ほぼ全てに目を通しています。NewsPicksの劣化を嘆く人は僕だけではないですが、まともなコメントとどうでもいいコメントの落差がすごくあって、まとも:どうでもいい=2:8くらいになってきています。

読者のコメントを読んでいて思うのが、こういった解釈の余地が大きい記事の場合は「自分に都合良く解釈している」ことが多いということ。自分がかわいいですから、記事の大枠の主張が真逆だった場合は「この記事の主張はあり得ない」など批判し出し、自分を守りにいく。そのロジックが通っていれば納得なんだけど、そうでもないことも多い。

記事を読むという最小単位の事象ですら、自分の意見と合致しない場合に条件反射的に批判する人が少なくないと思う。たしかに自分の意見と真逆の意見は時に不快に感じるだろう。しかしそこを耐えて「そういう考え方もあるか」と解釈した上で「いや、こういう解もあるのではないか」と別解まで思い至る機会があるのだ。

僕は批判コメントに応酬しないというスタイルを取っているけど、全ての批判コメントに条件反射的に「ぬおっ!」と批判しかかりたいとは思わない。批判コメントの中には「なるほどね」と思わされるものも少なくない。

対面や記事で人を説得できる人ほど、日頃のコミュニケーションでも本意ではない解釈をする努力をしたり別解を探すのが上手いのではないかと思う。自分一人の考え方だけでは視点が偏るから。

本稿で言いたいことはタイトルで言い切っているのですが、解釈の余地が大きい記事に関しては、自分に都合の悪い解釈をするとどうなる?という逆の解釈や別解を考えるならどうかな。と思考に柔軟性を持たせるといい。記事を消費しているから、反射的なコメントしかできない。スマホ時代だからしょうがないのか。「消費」ではなく「咀嚼」できていればもう少し違うアウトプットが出てくるはず。

本誌では本来のターゲット読者に記事が届けばよしなのだが、意図的なバイラルコンテンツで非ターゲット読者をサイトに流入させ、その一部が定着しないかな?という実験をしている側面がある。と難しいこといいつつ、思い付いたことを書いているだけなんだけどね。

解釈の幅を広げることは想像力を働かせることを意味する。

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