apbankにみる人を動かす『ミルフィーユ・ストーリー』

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珍しく芸術ネタを。この3連休の初日にapbankのフェスを観に行ってきました。日焼け止めを塗らなかったのでひどいことになり、激しく後悔しております。赤黒くなってしまいました…

前々からapbankには興味があり、ようやく生で観ることができました。ミスチルは普通に好きなのですが、apbankという構造や「なぜ毎年あれだけ多くの人がapbankのフェスに行くのか」という人を動かすモチベーションの源泉はなんなのか。という少し深いレイヤーで興味がありました。特に「ミスチルは好きだけど、なんとなくapbankが気になってしまう」とapbankに魅かれる人は無意識化で何らかの魅力をapbankに感じているはずです。その辺を少し明らかにできればいいなと。

僕は初日を観ていて、「bankband」「スピッツ」「ミスチル」の3つのライブを観て、比較していくと少しずつ見えてきました。apbankが人を惹き付ける要因は、様々なトラップを仕掛けている「ミルフィーユ的なストーリー構造にある」という結論に至りました。

apbankのミルフィーユ・ストーリー構造

まずはapbankのHPにある「apbankのしくみ」の図を抜粋します。

これはあくまでapbank側から見た構造で、ユーザーにとってはどうでもいい図であるといえるかもしれません。僕が感じたapbankはこういう図で、「自分はこれを求めている!(例えばミスチルを観たいとか)」と顕在しているニーズもあるでしょうが、他の要素に潜在的に反応し、様々な要素が絡んだ上で「apbankに行ってみたい」と思うようになり、実際に足を運ぶ人が多いのではないかと。

ミスチルが好きなだけの人はミスチルのライブに行けばいいわけで、apbankに足を運ぶ人は、その中心となっている「ミスチル+α」に心を魅かれるものがあると思うのです。その「α」も一つではないはずで、度数は違えど多くの人が上記の多くの要素に連動して魅せられているのではないかと。

例えば僕の場合はわかりやすく「Bankband」というアーティストの競演に興味がありました。ここでしか観られないコラボレーションというのは 興味をそそるものです。基本的にミスチル×誰かというコラボレーションですから、ミスチル好きであれば興味を持ちやすいでしょう。夏なのでアウトドア的なことを何かしたいなという気持ちもありました。

一方で、ライブに行ってから気づきましたが「Fund for Japan」ということで今回のチケットの売上が復興支援に充てられること。僕ははっきりいって普段はエコとか復興支援に興味がなく、ダイレクトに「エコ!支援!」とか言われると引いてしまいます。しかし、この日の売上が復興支援に充てられると聞いて、悪い気はしないというか、「こんだけ楽しんで復興支援に役立てるのだな」とポジティブな気分になれました。

「ダイレクトに言われると興味を示さないけど、変化球で攻められるとそこに貢献できたことに対して満足できる」これは多くの人が抱えている潜在ニーズではないでしょうか。復興支援やエコに「ダイレクトには」興味を示さない私のような人もいるでしょうが、そのことが心に少しだけ引っ掛かっていて、apbank fesみたいな機会でそこに貢献できた気がすることで少しだけ肩の荷が下りた感覚がある。そんな人は案外少なくないのではないか。あとは毎年きちんと定期的に回を重ねていることも、徐々に影響力を強めている要因であることに異論はないでしょう。

人を動かす良いストーリーというのは「様々な要素が連動していてそこに意味を見出せること」と「解釈の余地を残せること」の2つを兼ね備えているのが僕の仮説です。前者の「様々な要素が連動していること」をミルフィーユにたとえ、apbankが人を動かす構造の源泉であると考えています。「解釈の余地」とは誰が感じても一通りの解釈しか出来ないというものではなく、「多様な解釈をされ得る世界観」であることを示しています。これは「連動性」と密接に繋がっていて、「連動性」があるからこそスペースが生まれ、解釈の幅が広がるのだと思います。

ミスチルが2000年代も偉大であり続けられている理由

apbankから離れて、せっかく「ミスチル」と「スピッツ」を同時に聞いたので、90年代後半は同じトップアーティストだった2者が2000年代でなぜこれほど差が開いたのかを考えたいなと。(大学の先輩である音楽レーベルの人と行ったので、どこまでが彼の意見でどこからが自分の意見かわからなくもなっていますがw)

結論としては下記3つに集約されるかなと。

①ミスチルの「引き出しの多さ」
②ミスチル(というか桜井さん)の「エモーショナルさ」
③スピッツは「何を聞いても同じに聞こえる」

①と③は連動しているわけですが、最初にスピッツを聞きましたが、ベードラの上手さにちょっとビビりつつも、CDと全く変わらない音源を奏でるスピッツには「ライブならではの面白さを追求するエンターテイナー」としての姿勢は足りないのかなと。人間性ではあると思いますが。バンドとしての安定感はあるものの、マサムネさんのキャラなのか「全て同じに聞こえてしまう」というのが正直なところ。バラードでもアップテンポでも「楽器は少し別に聞こえるが、ボーカルがさほど変わるようには聞こえない」ガチガチに一つの世界観に固まってしまっていて、なのでそこから先は伸びなかったのかなと。

スピッツと比較してミスチルは様々な色を持っているような気がします。「スーパーマーケットファンタジー」以降の音楽の多くはかなり独特な世界観であり、90年代の「綺麗な言葉を並べてカッコつけてるだけ」と揶揄される薄っぺらい世界観とは何か一線を画しているところがあります。中には失敗もあったでしょうが、明らかに引き出しが増えているのを感じます。これはボーカルとして歌ってみると明らかに違いがわかるものです。

②は特にライブで感じることですが、客を乗せる「エモーショナルさ」がすごいですね。特に今回は最後の曲である「シーソーゲーム」での盛り上がりっぷりは圧巻でした。桜井さんのライブでのパフォーマンスというのは、声質の安定感とか細かいフレーズのキレとかはCDより明らかに粗くなっているものの(逆にマサムネさんはほぼCDと変わらないキレを維持する。これはこれですごい) フレーズ、ないしは音が伝わりやすいように感じます。フェスに行ってみた人は「誰が歌った曲を思い出せるか」をイメージしてみると明らかになるかと。

この理由というのは「歌詞や世界観を丁寧に伝えようとしていること」に他ならず、家入さんの言葉を借りるのであれば「手紙を書くように歌っていること」さらに言い換えると「和歌を詠むように謳っている」から伝わりやすいんじゃないかなと。この辺の意図は曲のアレンジからも伝わってきます。この辺は音楽に限らず参考になるんじゃないかな。誰に届けたいかって「すごく具体的にイメージする」ことは基本的なようでとても難しかったりすると思います。

音楽とメディアの世界観構築のアナロジー

とてもグダグダと書いてきてしまっているわけですが、僕は実は昔音楽をやっていて、「音楽ってどうすれば良くなるんだ?」というアプローチは本誌のようなメディアを構築する上での基本思想にもなっているんじゃないかなと思えてきて、考えてみると多少のアナロジーがあったの整理しておきます。

目指すべきビジョンを元に「曲」や「記事」から構成される世界観を紡いでいくこと。ライブでのセットリストを考えるように、記事を出す順序を考えたりする。この記事の後にこの記事は熱いはずだ!とか。まあ、そこまでできてたらすげーよって感じで、なかなか上手くはいきませんが。ライブを観ていて「おお、この順序で来たか!」「いや、自分ならこうするな」とか脳内で試行錯誤するのは結構面白いものでした。セットリストや記事を出す順序を考えるのは、一種の空間把握能力とも言い換えられるなあと。

僕はよく文章のミスが多いと言われ、たしかに直さなければいけないのですが、それは一番重要なことではないと思います。ライブで歌詞を間違えるなとかそれに近いことで、たしかにミスは良くないですがそれは本質ではないかと。音楽であれメディアであれ良い作品である条件は「最後まで聞いて/読んでもらえて、相手に何かしらの良い影響を与えられること」が本質ではないでしょうか。

僕の場合はメディアは「ビジネス」にもなり得ますが、ミスをすることよりも「自分の思考を整理することとで誰かに役立つことに繋がればいいな」と思ってやっています。CDでのパフォーマンスとは乖離している桜井さんの歌も、乖離しているからこその勢いとか和歌的な伝え方とかで、その辺をカバーしているどころか、ライブならではのパフォーマンスに昇華させている感があります。

今日の文章は通常のガチガチなThe Startupとは真逆であるわけですが、このアプローチでいつもとは違う読者や、いつもと同じ読者であってもいつもとは何か違うところへ思考を向けられるんじゃないかなと思い、敢えて書いてみたわけです。

今回は音楽からのアプローチを起点としましたが様々な要素を連動させるミルフィーユ・ストーリー構造」「和歌のように謳う桜井さんの謳い方」はスタートアップにアナロジーさせると「ユーザーがサービスを楽しむための連動した仕掛け」とか「サービスをどうユーザーへ伝えるか」とか「ユーザーがサービスを解釈するスペースを空ける」とかサービス作りに参考になることもあるはずです。ミルフィーユ・ストーリー構造を作れるか否かは特に音楽の世界では「一発屋か本物のアーティストか」の分かれ目になるほど重要なことなんじゃないかなと。

apbankのミルフィーユ・ストーリー構造について前半では展開しましたが、この記事自体が「音楽・メディア・webサービス」に連動させているミルフィーユ構造となっていたのでした。というオチで終わります。



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