「100人前後のグループ」が次世代に必要とされるコミュニティである理由

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佐渡島さんのコミュニティの本を読みました。

コミュニティと聞くと、なんか次のお金の匂いもするバズワード感もあるのですが、例えば、「ゲーミフィケーション」とか「グロースハック」のような一過性的なものではなく、元々古来から存在したものです。

それがインターネットによってアップデートできるタイミングに今来ているからこそ、注目が集まってきているのだと思います。

長文記事になってしまいましたが、コミュニティを3つの時系列で捉えて、未来はどのように進化するのかを、考えてみました。

まさかの6,000文字越えなので、やや長いです。。

旧来のコミュニティ:選択の自由度と流動性が低い

インターネットがない時代。実生活に紐づいた、3人以上の人間が存在する空間を、「コミュニティ」と呼んだ。

最小単位は家族であり、それが学校のクラス、部活やサークル、アルバイト先、習い事、職場、ご近所。などのコミュニティがある。

大抵は、生活を営んでいくにあたって、必要性の高いものは強制的にそのコミュニティに入らなければならない場合が多い。学校のクラスや職場がそれに当たる。

しかし、実際に顔を合わせているからといって、気が合うとは限らないし、趣味趣向も全然違ったりする。

アルバイト先や習い事はある程度選択の自由があるが、たまたまリアルの場で一緒だった人としか、コミュニティを形成することができなかったわけです。

居心地の悪いコミュニティにい続けることは辛くて、学校だとイジメがあったりするし、職場だとパワハラに遭うこともある。

所属するコミュニティが少ないと、1つのコミュニティから受ける影響が大きい。未婚で学生時代からの友達と疎遠だったりすると、職場のみが現在所属するコミュニティになってしまっていて、そこでうまくいっていないと、孤独を感じやすくなってしまうだろう。

コミュニティ選択の自由度が低い、流動性が低いことによって、人々の価値観や提供価値が固定化され、本来その人が持つ価値を引き出す機会が生涯なかった。ということもあり得ます。

ちなみに、コミュニティという言葉を改めて確認すると、下記となる。

居住地域を同じくし、利害をともにする共同社会。

町村・都市・地方など、生産・自治・風俗・習慣などで深い結びつきをもつ共同体。地域社会。

「利害を共にする」というのが、なんとも味わい深い。

インターネット上の最大のコミュニティ空間・SNSの弊害

上記の旧来のコミュニティは、今後も実社会が存在し続ける上で、なくなることはない。

しかし、インターネットによって、実社会以外のコミュニティに人は所属することができるようになってきている。

最も大きいインターネット上のコミュニティは、Facebookやtwitterといえるだろう。SNSは性質上、広義のコミュニティである。しかし、広すぎるがゆえに、公共空間と化してしまい、その弊害を私自身も実体験で感じることが多い。

SNSの発信で重要なのは、投稿内容を絞ることだ。範囲を狭くすることで、SNSのアカウントに個性が生まれてくる。そして、その個性を支援してくれる人だけが集まってくる。

SNSは誰もが見られる。検索やリツイートなどの仕組みで、自分が意識していない相手も見ることがある。だから、公共の場で話すのと同じ感覚を持った方がいい。自分の意見を述べただけだと思っていても、誰かを傷つけている可能性もある。

でも、自分が詳しい、好きなことであれば、知見が溜まっているので、不用意な発言をすることもない。

(WE ARE LONELY , BUT NOT ALONEから引用)

あと元の箇所を忘れてしまったが、「バズらない力」が大事だ。みたいな話も本書にあり、無駄なバズによって疲弊した経験が少なくはない私には、非常に刺さる話であった。

「発信内容を絞る」ことで、上手く独自のコミュニティを形成しているのは、SNSではInstagramが一番強いと感じる。私も最近は、トイプードルアカウントをフォローして、癒されている。閲覧するだけで、コミュニケーションを取ることはないですが。

メジャーなSNSも使い方によってはコミュニティとして十分機能するのだが、佐渡島本で言う(略し方がわからんので、そう呼ぶ)「安全・安心の保証」はSNSにはない。

インスタグラマーともなれば、キモいおっさんからコメントがたくさんつくし、私レベルのツイッタラーでも野次誹謗中傷が山のように飛んでくる。

普段の発言内容がアレだというのは横に置いておくが、インフルエンサーであればどんな人格者でも1,2度は攻撃を受けたことがあるだろう。

批判されてこそ一流への道。とも言われ、それも一理あるのだが、自身の発信対象外のユーザーと運悪く何かしらでバズって接触してしまったため、無駄な攻撃を受けて疲弊してしまう可能性があるのが、もはやパブリックであるSNSの構造といえる。

フォロワーが増えて、投稿に反応してくれる人が増える
→なんか批判される
→疲弊して発信をやめる

このループはよく指摘されており、メンタルの強い人でないと、SNS上で第一線で居続けることは難しいという話もある。

一方で、情報を伝えたり、コミュニケーションを取るのに、SNSしか選択肢がないわけでもない。不特定多数にパブリックにリーチする性質があるSNSとは真逆の、限られた人にリーチするクローズドな空間があっても良い。

そこで登場したのが、オンラインサロンである。

グループは人数規模により5つのステージがある

この記事は自分自身のホームグラウンドで書いているので、私がオンラインサロンを運営してきた話は割愛する。

2018年に入ってから、オンラインサロンに勢いがあるように感じられるのは、SNSではない閉じた空間のコミュニティに人々が関心を持ち出す下地が整ったからではないかと思う。

私が始めた2012年は「それタバコ部屋と何が違うの」というツッコミを受け、バカにされてきたが、そのタバコ部屋こそが価値であることに、私は気づいていたつもりでした。私はタバコを一切吸わない、嫌煙家ですが。

この記事を書きながら、思い出した書籍が二つある。「ウェブはグループで進化する」(2014年:米版名は「GROUPED」で、このタイトルの方が好き)と「パブリック」(2012年)だ。

多分どちらも日本ではそんなにヒットしなかった本な気がする。とりわけ、パブリックは「フリー」「シェア」との三部作的な売り出し方をしていたが、前著2冊よりインパクトに欠けた印象がある。

「パブリック」の内容はあまり覚えていないが、時代的に日本でもtwitterやFacebookが定着し始めた頃で、その文脈だった記憶がある。

一方の「GROUPED」ですが、「ソーシャルウェブ」「インフルエンサー」などのワードに触れつつ、インフルエンサーに紐づいたテイストグラフ(TheStartupでは2011-2012年頃まではよく使った用語で、今は死語w)が形成されている話があった。

私自身も、読者の皆さんはご存知の通り、スタートアップというジャンルに特化し、SNSやグーグルで集客をし、サロンでコミュニケーションを取り、有料noteを販売するなど、系譜的にはその流れを実践してきた人間である。

率直にいうと「コミュニティ」より「テイストグラフの形成」という言葉の方が、しっくり来る。テイストグラフとは、簡単に言えば「似た趣味」を持つ人が繋がるネットワークのことを指す。

たしか、「GROUPED」にあった話だと思うのだが、グループコミュニケーションは、人数規模によって変化せざるを得ない。

ステージ1:5人(シードステージ)
ステージ2:15人(シリーズA)
ステージ3:50人(いわゆる30人の壁)
ステージ4:150人(IPO前など)
ステージ5:500人(大企業)

これが、グループコミュニケーションが変化する、5つのレイヤーだと言われている。()内はスタートアップの成長ステージでいうと、こんな感じと似ていると思われる。

15人までなら全員把握できるが、500人になると無理。同じ社長でも、15人の企業の社長と500人の企業の社長は、適切な振る舞いも異なって来る。

5人しか社員がいなかった時は身近に感じた社長も、500人規模になると、遠い人で、疎遠になってしまったと感じてしまうこともあるだろう。

SNSで有名人のフォロワーになっていても、「その人のコミュニティに所属している」という意識は希薄だと思う。「その人のファンクラブ、ファンコミュニティ」と言い換えると、まだ納得感はあるものの、「集団」感はない気がする。

100人前後のグループの存在価値が上昇する

ところが、ステージ4の150人程度や、100人以下のグループに自分が所属していると、そのグループの主催者や他のメンバーに覚えてもらうことができる。もちろん、全員は無理だが、グループのメンバー間で誰がいるか覚えている率は高いはずだ。

自分がいてもいなくても、全く変わらない場所と、自分がいることで何か貢献できることがあるかもしれない場所。実際に、コミュニティの誰かから「ありがとう」と言われることで、その場での存在意義を感じることもあるだろう。

今まで私は、クローズド空間で、情報価値を提供することに関心があり、Umeki Salonでそれをやってきた。500人中、50-100人くらいには、コメントを促したり、いいコメントをもらえれば感謝した。実際、コメント欄が面白いと聞いて、入会してくださった方もいる。

500人規模のコミュニティでは、そのやり方で良かったのだと、今振り返っても思う。しかし、その他残りの400人くらいにとって「自分の居場所だ」と感じられる、コミュニティ的な設計にはなっていなかったと、感じる。

なので、自らを省みると、コミュニティサービスをやっている風に見せかけていただけで、コミュニティなっていなかったのではないか。と佐渡島本を読んで、この記事を書きながら思考していく過程で、気づいた。

踏み込んで考えると、500人規模だから無理だと感じて、メンバーを個別にマッチングさせようとか、きめ細かいサービスを諦めかけた節がある。

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150人くらいまでなら、まだなんとか覚えられそうな気がするし、メンバー同士のコミュニケーションを活性化させることもできる気がする。

自分自身、1から5までの全てのステージの運営を実践しているので、どのステージがどういう感じかを、肌感覚でわかっていることは大きい。

コミュニティの未来を考える上で、旧来型のリアル社会のコミュニティ、そしてSNS上のゆるいつながりのパブリック・コミュニティは存在し続ける。

今は大規模化していくサロンもあり、そう行ったサロンも存在していくであろうが、今後は特にステージ3〜4の50〜150人のコミュニティの存在感が増していくのではないか。

なぜなら、ユーザー視点的に「所属する意義」を感じやすく、「所属欲求」を最も満たせる可能性がある、規模感と思われるため。

大規模化したサロンの中で、「部」とかの単位に区切って活動している動きもあるが、それは大企業の中の部や課と同じ。

それよりは、50〜150人単位の中小企業くらいのグループの方が、誰がいるか辛うじて全員把握できたり、そっちの方が楽しい。やり甲斐もある。という人も出てくると思う。

大規模サロンはおそらく、「そのサロンに入っていること」が自分のアイデンディティになっていく、大企業的なものになる。現に、twitterのプロフィール欄に所属サロン名を記載している人が増えている。

あの短いプロフィール欄に他に書くことがないのかよw と突っ込みたくなるが、大規模サロンは、今後は出来上がったブランド価値を欲しがる人が、入会していくコミュニティになるのではないか。

ちなみに、「Umeki Salon所属」とプロフィールに書いている人は見たことがない。そういう使われ方を想定していないし、リアルの場で話題にしてもらうことはあっても、所属していることがアイデンティになるような「居場所」にしてこなかったからだ。

居場所としてのコミュニティ。というお題で別で1本記事が書けそうだし、本来はサロン論でいうとインフルエンサー文脈も語る方が網羅性が高いが、またの機会に。

まとめと、ユーザーの満足度が高いコミュニティの条件

ざっくりまとめると

1:人は多くのコミュニティに所属してみた方が人生有意義かもしれない(本文でこんな話触れてないけど、大前提としてそう思う)

2:SNSのパブリックコミュニティの浸透の上に、その揺り戻しや疲弊という文脈からも、インフルエンサー主催によるクローズドコミュニティの需要がいよいよ顕在化している

3:2の結果から、自ら選んで入れるオンラインコミュニティの選択肢が増え、人々がコミュニティに出入りする流動性が高まっている

4:人が「所属してる感」を自覚しやすい集団規模は100人前後までが限界ではないか。そのくらいまでの規模の方が、人は何かしらコミュニティに自発的に貢献しやすい

上述でも「規模が大きすぎると、所属している感が希薄になる」という指摘をしたが、ユーザーとしてサロンの満足度が高い人の比率が多い状態というのは、おそらく50〜150人くらいで、サロンメンバーが活発に自発的に書き込める空気になっているのが条件になるのではないかと思われる。

大規模になると、当然だが一人一人に対するケアは物理的に難しいし、全員が書き込みまくっていたら、収集がつかない。

ビジネス的には、1つのサロンの人数が多い方が、スケーラビリティが効いいて、オペレーションコストは変わらずとも利益率が上がるので、そちらの方が嬉しい。

SNSはネットワーク外部性が強くて、バイラルで入会してくる。サロンも同様の構造にはあるが、SNS的なピュアなCGMでないオーナーがいるコミュニティサービスとしては、拡大しすぎない方がユーザー満足度は高いのではないか。

そんな仮説を、一つ立ててみたい。

なので私は、いくつかの50〜150人規模のサロンを作り、その場が自分がいなくても自走するか、実験してみたい。

後付けにはなるが、最近始めた脱栽培マンサロンは、そんな意識はなく適当に始めたのだが、その実験台にしたい。Umeki Salonを知っている人からすると、真逆で、開始1週間だが、ユーザーの書き込みの多さに驚くだろう。

まだ36人なので、じっくりとやっていきたい。神以外の人にとっては、Umeki Salonとはメンバーと私の距離感が全く違うと感じてもらえると思う。

6月開始予定のサロンも既に決まっているので、7月開始のサロンも作ってみようか。

佐渡島さんの本の書評だったはずだが、「SNSを使ってコミュニティを作る」や「熱狂しすぎない方がいい」「一度に100万部売れるよりも、10万部×10年の方がいい」「アップデート主義」あたりに着想を得て、自分なりのコミュニティの変遷と、未来のコミュニティ論を展開してみました。

100人前後でほとんどの人が顔見知りで、そこから何人かは新しい友達ができる。とか、そういう場をいくつか作れたら、いいなあと思います。



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