「エンデの遺言」に見出す、お金の本質と小さな経済圏設計

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以前、タイムバンクが出てきた際にUmeki Salonで「知り合いの時間の価格が可視化されるのにどうにも抵抗がある」と書き、その中でエンデの「モモ」をお勧めいただき、読んだことがあります。

サロンメンバーの皆さんは、こちらのリンクから飛ぶと過去スレにアクセスできます。(サロンに入っていない方はURL無効になるはず)

比較的教養がないと自覚している私はモモを読んだことがなく。そもそも、国語が超苦手な子供でしたので、浪人するまでまともに小説とかを読んだことありませんでしたね。特に海外の翻訳ものは睡眠効果が…

こちらがモモですが、すごく簡単にいうと時間とお金について考えられる話で、時間貯蓄銀行にお勤めの灰色の男たちと、主人公モモが戦う?的なお話です。

この時間貯蓄銀行の男たちが、個人的には栽培マンと瓜二つでしたね…。ちなみにこういう本を子供の頃に読んで「考えさせられた」と仰るような方は、やはり元々の出来が違うのだなと感じましたw

おそらくモモを読んで「時間とお金」について考えた機会がある人は、まともな会社員にはなっていない気がしますね。時間を引き換えにお金を得る、会社員という構造は時間貯蓄銀行的な世界ですからね。

定年退職後に海外旅行に行くの、楽しみだな〜とか言ってる人は、モモを読んでいたとしても何も学んでおらず、時間貯蓄銀行的世界で時間を搾取され続ける側の人間なのでしょう。

このモモもぜひ一読いただきたいのですが、本稿でより掘り下げたいのは、「エンデの遺言」についてです。

副題が「〜根源からお金を問うこと〜」とあり、なかなか骨が折れつつも、本質的な内容でした。

昨今は暗号通貨の登場により、様々なコインを作り、それで独自の経済圏を構築しようという動きが多数見受けられます。

今までは日本円やドルなど国家が発行した通貨を前提とした経済の中でしか我々は生きることができませんでしたが、VALUやタイムバンクのような個人が主体となって経済圏を作るとか、イーサリアムをベースとしたなんちゃらコインで経済圏を作るとか、Amazonが銀行を持つようになって独自の経済圏ができるだろうとか、そもそも楽天は昔から楽天経済圏を構築したいと言っているなとか、様々な経済圏に触れる機会が劇的に増えてきました。

今後我々はユーザーとして様々な経済圏に触れて行くでしょうし、例えばAmazon派か楽天派か、はたまた両方かなど、自分で選べるわけです(私はAmazon派ですが、楽天は楽天証券のみ利用している)が、今後様々な経済圏に触れるにおいて、お金とはそもそもどういう特質を持っており、経済圏の設計の上で、何に留意すべきかを抑えておいて、損はないと思います。

本項では「エンデの遺言」から、お金の性質をいくつかまとめ、またお金および経済圏の事例をいくつかご紹介したいと思います。

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お金の性質のおさらいと、不正な貨幣システム

・お金自体はモノでありそれ単体で本来減ったり増えたりはしない

・モノは経済プロセスの中で消費され、なくなるモノである。ゆえに、お金も経済プロセスの終わりにはなくなるべき。という考えもある(ゲゼルの理論)

・お金とは経済という、いわば有機的組織を循環する血液のようなもの。→流動性が非常に大切で、流動性が枯渇すると死に至りかねない

・お金には不滅の性質があり、ゆえに貯め込む人が出てくる。拝金主義は永遠性を得たいがための一種の偶像崇拝とも言える

この辺が本書の比較的前半部分で気になった点です。

本書には「モモ」の名場面というか、示唆的な一節も抜粋されています。下記に紹介すると

モモはマイスター・ホラに「灰色の男たちは、いったいどうしてあんなに灰色の顔をしているの?」と尋ねる。

マイスター・ホラは答える。

「死んだもので、いのちをつないでいるからだよ。お前も知ってるいるだろう、彼らは人間の時間をぬすんで生きている。しかしこの時間は、ほんとうの持ち主から切り離されると、文字通り死んでしまうのだ。人間というものは、ひとりひとりがそれぞれのじぶんの時間を持っている。そしてこの時間は、ほんとうにじぶんのものであるあいだだけ、生きた時間でいられるのだよ」

「じゃあ灰色の男は、人間じゃないの?」

「ほんとうはいないはずものものだ」

灰色の男たちは、不正な貨幣システムの受益者にすぎない。その貨幣システムは、本来人間に備わっているものではなく、自然界の外にあって、貨幣を<凍結>させる機能をもつものである。

ぶっちゃけ、この話を聞いて思い浮かんだのは、M&A組の人たちでした。私自身もM&A手数料を得ているので、少しはそっちの世界の人なわけですが、「M&A組の闇」的なものがあるというか、いきなり巨額の富を手にすると、どうすれば良いかわからない。ダークサイドに落ちてしまいそうになる。みたいなことって、ある気がしています。

日本国内でいうと、M&A組よりもIPO組の経営者の方が覇気があるよねと言われますが、一方でキャッシュインの額はM&A組の方が多く、IPO長者は株式上では長者ですが、自身が経営を続けている間は非常に現金に換金しづらいので、キャッシュ的にはM&A組の方がリッチだったりします。

現代の国内スタートアップで例えると、「不正な貨幣システムの受益者」=「M&Aで多額の富を得た人」という比喩も成り立つと思います。M&Aはまさに「時間を買う」という概念もあるわけで、「お金と時間」というテーマは、経営上の非常に重要なテーマの一つと言えます。

創業者が時間をかけて作ってきたプロダクトを売ってしまい、その時間が詰まったプロダクトが創業者の手を離れてしまうと、そのプロダクトが死んでしまうことも多々ある気がしています。

利子の存在は、貧富の差を拡大させているのでは?

上述のお金の性質を前提に、現代社会ではお金は「モノと労働をやり取りする交換手段」としての機能と、「財産や資産」の機能をもち、さらに「銀行や株式市場を通じてやり取りされる資本」の機能も担っています。

特に財産や資本としてのお金は、お金がお金を生み出すという自己増殖的な機能があり、その中でも「利子」の存在が奇妙なものではないか。と本書では提起されている(ように私には思えました)

私は「利子」という存在がもともと非常に嫌いで、昨年ついに若かりし頃にリボ払いで買ったMac以来の借入を実施し、大きな買い物をしたのですが、そこで複利で支払わなければならない利子額が数百万円で、「うわ…まじか…」と非常に嫌になりました。

金融的なロジックでは、手持ちキャッシュの運用益の見込みが支払い利子額を上回れば、借入をした方が賢いというのはわかるのですが、利子を支払うことに釈然としない感情が存在しました。

奨学金が昨今よく問題になりますが、金融リテラシーが低い層に対して、多分の利子額を含んだ奨学金を大学卒業後数十年に渡って返済せよというのは、非常に悪徳な商売に感じますし、我が子に奨学金を背負う選択をさせた親のリテラシーというのも、なかなかに厳しいものがあるなと感じます。

話が逸れましたが、生活者が銀行に預けることで得られる利子はほんの僅かで、住宅を手に入れるために借入して支払う利子は大きな負担を感じています。しかし本書では、それだけではなく、全ての物価に利子部分が含まれており、ざっくり物価の25%程度を利子として負担しているという主張があります。

たしかに利子が存在することで、今の自分の財政状況では手に入らないものを手に入れることができる一方で、将来の時間を利子を支払う金額の分まで余計に切り売りしなければならない羽目に陥ってしまい、利子という概念は貧富の差を拡大させているだけのようにも思えるのですが、気のせいでしょうか。

住宅35年ローンとか本当にバカバカしくて、持ち家である必要も必ずしもないのに、政府が民間企業と組んで、国民から時間とお金を奪うプロパガンダに過ぎなかったのだなと感じます。

利子はお金の「信用創造機能」の裏付けとしても紹介されており、この「信用創造機能」によって、バブルやインフレを引き起こしたり、逆に停滞させたりして、お金の最大の利点である交換機能が阻害されてしまうともあります。

保有していると価値が減る貨幣と、地域通貨の事例

上述で利子の話をしましたが、基本的に現代の社会ではプラスの利子となります。お金を借りたら、利子をつけて返す。

正直そんなことを想像したことがなかったのですが、本書の後半ではマイナスの利子の話が出てきます。エンデの思想の拠り所ともいえる、ゲゼルの思想のようです。

マイナスの利子システムが経済の均衡維持と持続的に存続しうる経済を導くという発想が紹介されています。

ゲゼルが時時ともに価値が減る「自由貨幣」を提唱したのに対し、シュタイナーは「老化する貨幣」を提唱したと紹介されています。

本書のどこかにあった話だったと思いますが、上述の通りお金は本来それ自体では減らない性質があります。しかし、特定の経済圏で「価値が減る通貨」を流通させたところ、お金を貯め込む人が劇的に減り、お金の循環が従来の経済圏の8-10倍になった?か何かと紹介されていた気が。

簡単に定量化すると下記の通り。

流通させた元本:100万円
従来の経済圏での流通額:100万円×3回転=300万円
価値が減る通貨での経済圏の流通額:100万円×25回転=2,500万円

こういうことです。お金の流動性が高い経済圏の方が、色々な人にお金が行き渡りやすいので、貧富の差が生まれにくいんでしょうね。

たしかに一人の生活者として考えたときに、手元にあるお金が来月とか来年には1割価値が減っちゃうよとなると、無駄に貯めずに使ってしまおうという心理になるのはとてもよく理解できます。

地域通貨の事例として、米国のイサカアワーという通貨と、ドイツのハレ地方のデーマークという経済単位とスイスのヴィア銀行が本書後半で挙げられています。この中にマイナス金利を導入(月1%価値が減るとか)をしているものもあります。

今回はこの辺の説明は詳細にはしませんが、特にトークンエコノミスト志望者あたりには必読の内容です。

マイナス金利政策なんて、日銀もやっとるわ!という話ではありますが、銀行に対する話であって、生活者にマイナス金利がダイレクトに適用されるとこんな感じになります。的な事例として地域通貨の話は面白いですし、地域通貨の方が相互扶助的発想になりやすく、愛着が湧きやすいとか、そういう話も興味深かったです。

特にイサカアワーの事例は、通貨の流通が起点ではあるものの、地域情報雑誌を発行してそこにイサカアワー参加者の広告を載せ、ユーザーとマッチングさせるというのは、クラシファイド広告的な話でした。クレイグスリストですね。クレイグスリストとトークンエコノミーをかけ合わせると、面白い事業が作れそうな気がします。

経済圏の設計と、「お金とは何か」という問い

本書は2018年に読むには非常に適しているなと感じたのは、ご存知の通り暗号通貨の浸透により、トークンを発行して独自経済圏を作りたいと考える人が非常に増えているからです。

トークン設計者は(本誌の読者であっても、設計者側の人は非常に少ないと思われますが)何を目的としてその経済圏を設計したいのか。

その経済圏に参加する人の中で、一部の富を独占する人を生み出したいのか、参加する多くの人にそのトークンが流通することで、よりその経済圏に紐づくコミュニティを盛り上げたいのか。

後者であれば、「エンデの遺言」を読めば、20世紀の地域貨幣の実験で、マイナス金利の設計がワークするということが証明されており、設計を考える上で、非常に有用な資料になるはずです。

ついトークンセール!ICO!とかいうと、投機的に儲かりそうな香りがして、儲けに目がいきがちです。

しかし本質的には家入用語でいう「小さな経済圏」の設計がこれから非常にしやすくなる下地が整ってきているという話で、小さな経済圏を設計するには、ビジョンが最重要という話は言わずもがなではあるものの、手法としてエンデの遺言に記された過去事例は非常に有用なので、ご紹介したいと思いました。

そして、「お金とは何か?」という問いは、人生を生き抜くにあたり、重要な問いだと思います。この問いに対して、若いうちに自分なりの「たしからしい答え」を持てるかどうかで、人生の過ごし方がかなり変わってくるのではないかと思います。

栽培マンはおそらく無目的に「お金持ちになりたい!」「だから年収を上げたい!」「仕事頑張ろう!」という負のスパイラルに入っています。

お金を持ったら何に使いたいのか。それが明確にイメージできている栽培マンは少ないでしょうし、うっかりM&Aで巨額の現金を手にしてしまった人達ですら、そういう場合は少なくないです。

私自身もそうで、最近は物欲もあまりないですから、「これにお金を使いたい!」という目的が希薄なので、稼ぐモチベーションがさほど湧かないというのが正直なところです。

老後のために貯めておきたいというのは理解できるのですが、貯めまくる人生も味気なくつまらない気がしますし、「欲」というのは尊いものだなと最近感じています。

この「エンデの遺言」は非常に示唆深く、私自身も読む時代やメンタルw によって、解釈や注目すべき箇所が変わりそうだなと思いました。最後に本書の一部を抜粋して締めましょう。

数人の人が同じ本を読んでいる時、読まれているのは、本当に同じ本でしょうか?

本は読む人により解釈が異なり得るもので、私個人的には多様な解釈を可能にする本(これは本に限らず、様々な芸術作品も同じだと思います)は素晴らしいなと思いますので、ぜひ皆さんも一読されて、書評記事とかを書いてシェアしていただきたいですね。

これは、書評記事を書く価値が十分ありますよ。書評を書くことで、理解が深まりますからね。読書感想文、侮るべからずです。



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