「いつかやりたいこと」をいつやるのか問題

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人間が生きていく中での思考の一つに、「いつかアレをやりたい」というものがある。その輝ける未来のために、今を頑張っているという人もいるであろう。

しかし、この「いつかやりたい」は二つに分類できる。

やろうと思えば、今やれること。基本的に自らの事情でやれるやれないを実現できること。

やろうと思っても、今はやれないこと。基本的に自らの力のみならず、外的要因が大きい。

本誌で身近な例を挙げると、「起業する」は今できるいつかやりたいことに分類される。登記料20万円さえあれば、会社は作れるのだ。

一方で、「上場する」は売上と利益がその基準に達しているかなど、自らの力となる要因もありつつも、市場環境などの外部要因も少なくない。

なので、「いつか起業したい」と「いつか上場したい」では一見、同じ「いつかやりたい」なのだが、全然種類が違ってくる。

「自らの力でどうにでもなる系のいつかやりたいこと」は極力早くやってしまった方が良いと思っている。

この思考は、栽培マンからすると「人生、生き急いでいる」と指摘されることもあり、たしかに「老後の楽しみが減る」的な寂しさがあることは否定できない。

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ただ、人生いつ死ぬかもわからないし、自分の力でどうにでもなるのであれば、いつかやりたいことはとっととやってしまい、その経験を早めに得ることによって、それが本当に自分がやりたいことだったのか。とか、欲しいものだったのかを、見極める目を養える。とか、体感できる方が大切な事のように思える。

他の人も関わる問題、どんなにやりたいことであっても、例えば「有名女優と結婚したい」とかは、自分の力だけではどうにもならないので、無理をしない。ただ、その確率が上がる方法を考えてみることはある。

些細な話だが、消費活動に関しては、僕はそれなりに「やりたいこと」をやって、知見を得た。美味いと言われるレストランに足を運んだり、高い時計を買ったり、高いマンションに住んでみたりした。

こうした消費行動における背景に、僕はストレングスファインダーでは「最上志向」がまさに最上位にきており、今に始まった話ではない。

例えば、年収1,000万円くらいの時、デイリーユースで2人で3万円くらいのレストランに行くと、財布の痛みをリアルに感じていたりした。(あれ?2万台前半くらいだと思ったのにw 的な)

日々のささやかな話ではあるが、そういう経験を積み重ね、同年代の男性の中ではそれなりにレストランに行ったことがあり、相場観がわかる部類にはなったと思う。

よって、大抵「自分の力で行ける、行きたいレストラン」というのは、行ったと思う。予約が全然取れないというのは、うまく友人のツテとかで訪問させてもらうこともある。

食べログの「行きたい店ログ」を潰して減らしていくことが、ささやかな人生の楽しみである。

レストランの話と同じで、借金してまで買う必要はないが、予算的に可能であれば、欲しい時計を買ってみたり、身分不相応な部屋に住んでみたりもできる。行ってみたい海外に行くこともできる。

そうすることで、自分の中で基準となる軸を作ることができ、その後の様々な意思決定の役に立つ。

ぼんやりと思う「やってみたいこと」をどうすれば人生の中で前倒ししてやれるか。自分の力のみでできることであれば、とっととやってしまうのが良い。

やってみて「微妙だった」という経験を積むのも良い。とにかく、何かを「やってみたい」と思う心そのものが素晴らしいのである。そうであれば、その気持ちがなくならないうちに、早く体験してみるのが良い。

僕も若い頃「イタリアに行ってみたいな」と思ったことがあるが、当時は貧乏で行けず、今となってはどうでもいいなと思ってしまっている。

昨年末に流行った「MacBookおじさん」とかも、バイトして買うくらいなら、その時間が無駄だからMacBookあげるから、頑張れよ!という、「やってみたいことをとっととやる」という意味合いでは、素晴らしい活動だなと感じました。僕はMacBookあげるより、ルブタンあげる方が好きなんですけど。

ということで、「いつかやりたいこと」は自分の力の範囲内でできそうなことなら、もったいぶらずにとっととやってみると良いです。早くやってしまった方が、経験値が上がり、判断軸も鋭くなります。

やりたいことがある、ということ自体が素晴らしいのですから。



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