ラブレターを書くようにプロダクトを磨けているか?

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最近、プロダクト開発について自分で考えたり、ディレクションする機会があるのですが。

ユーザーが本当に欲しいものを、ユーザーが本当に使いやすい形で提供する。

本質的にはそれができていれば良いのだと思いますが、この当たり前のことが本当に難しく、言うは易く行うは難しなのだと思います。

施策に対して、データで反応が良かったら継続、悪かったら撤退というのは、まだわかりやすい。

しかし、データに表れにくい点にどこまでこだわれるかが大切であると最近強く感じるようになりました。

それは非常に細かいことで、AとBという選択肢があったときに、明らかにAの方がユーザーにとってわかりやすいよねとか、そもそもこれってすごいわかりにくくないかと気付ける力であったり。

「気付ける力」や「気遣い力」って今まで気づかなかったのですが、人によってかなりの落差があるようです。良いプロデューサーとは、この能力が高いのではないかとの仮説を最近持ち始めました。

気付ける力と気遣い力が高いプロデューサーが意思決定を積み重ねたプロダクトと、そうでもないプロデューサーが意思決定を積み重ねたプロダクトは、数年経つとかなりの差が現れると思います。

それに気づいたとはいえ、私自身の気付ける力や気遣い力は全然まだまだだなと感じますし、日々反省も多いです。

記事を書いても表現がまどろっこしければ、気遣いができていないことになる。いくらコンテンツが強くても、誤字が多かったり、リズムが悪いと、ユーザーはスムーズにコンテンツを咀嚼できない。

最近動画制作のディレクションも始めたのですが、これを始めたことにより、気遣いとかさらに意識するようになりました。絵の切り替えや、字幕の入れ方、最初3-5秒へのこだわりなど、テキストコンテンツとは違った観点が肝になります。

ユーザーにどうすれば振り向いてもらえる動画になるのか?企画コンテンツ力だけではなく、見せ方の工夫が非常に重要だと感じています。そこにどれだけの想像力を働かせることができるかが、気付ける力、気遣い力といえます。

データを回して気付くなど当たり前のことで、何のデータを取る必要があるかを設定する力が重要です。そして、データに表れない微細な表現などの細かい意思決定の積み重ねが、空気感の醸成を決定付けます。

そのプロダクトにハマらせるために、必要なものと不必要なものを。必要なものを提供することも大事ですが、不必要なものを徹底的に排除することも重要です。

喩えが適切かわかりかねますが、ラブレターを書くようにプロダクトを作るという姿勢が求められるのではないでしょうか。過剰な表現もうざいだけですが、必要なものをユーザーに適切に届ける。

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そのためにも、細かい点に気付く力であったり、ユーザー視点での本当の使いやすさを考えた上での、気遣い力であったりを、より一層高めていく必要があると思います。

どうすればその力を高められるかというと、観察力を元にした現状を疑う習慣を身につけられるかだと思います。本当に現状で良いの?もっと適切な表現があるのではないか?

目の前の事象対して、自問自答し続け、よりベターな解決策を出し続けられるか。

それに尽きるのではないでしょうか。

稀に「疑う力」だけありそうで、解決策がしょぼい人がいますが、そういう人は解決策をきちんと出し、適切なオペレーションを積んでいければ、将来的には芽が出る可能性があると思います。この手の人、若手の頭でっかちな人に多い。私自身も「疑う力」では若い頃から少しはあった気がします。

紫式部が源氏物語を書くように、自らのプロダクトを改善し続けられるか。改善力のベースは、気付ける力と気遣い力ではないでしょうか。



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