様々な意味で物議を醸し出した東京カレンダーWEBの問題作「東京人生ゲーム」、お楽しみいただけたでしょうか。
この作品をTheStartupの読者向けに解説すると、記事タイトルの通り、ピケティの「r>g」理論に極端に当てはめると(厳密にいうと「r>g」理論は投資で稼ぐ方が経済成長を上回り続ける、という話であることは理解しています)、g(グロース)の世界が栽培マン、r(リターン)の世界がサイヤ人といえるのだと思います。拓哉は結局は栽培マンだったということです。
サラリーマンとしての稼ぎと、経営者や投資家として得られる稼ぎは全然ロジックが異なります。
サラリーマンの最高峰は外資系金融マンでしょうか。景気のいい時代には1億円プレイヤーもそれなりの数いたのでしょう。しかし、激務で競争も相当激しそうですし、常にクビを切られるリスクに晒されています。日本の大企業で取締役になれても年収3,000-5,000万円くらいでしょうか。東芝の取締役でもせいぜい3,000万円くらいですかね。経費とかも使えるのでしょうが、責任ある要職にもかかわらず、米国企業の経営陣と比較すると世知辛いものです。
一方のr(リターン)の世界ですが、この世界の住人は何パターンかに分類されます。本誌の読者層にいるのが、IPOかM&Aでのキャピタルゲインを得た起業家。これが一番わかりやすいですが、数は少ないでしょう。
それでは「投資家」。本誌の文脈でいうと、日本国内の独立系ベンチャーキャピタリストでも、管理報酬と成果報酬を合わせて、それなりにリターンが出たと仮定して、ファンド運用期間の10年とかで割ると年収1億いけばトップクラスですね。数千万後半であれば、成功の部類に入ると思います。
一方で本誌ではカバーしていない、ヘッジファンド運営の投資家や不動産投資家、彼らは人の資金を運用するのか、自らの資産を投資に回すかで、お金に働かせてリターンを得ていきます。結局、r(リターン)の世界というのは、起業して一発当てるか、それとも金融で大きな額の取引をサラリーマンとしてではなく、個人(ないしはファンド運営者)として動かすか。そのふたつに大別されるかなと。
中小企業の経営者も自分で自由にお金を使えるわけですから、g(グロース)の世界ではあるのですが、自分の会社の経営がうまくいっている限りはそれなりに自分の収入をコントロールできます。アップサイドを享受しやすく、稼いだ分をいくら配分するかを自分で決めることができます。このセグメントにいるのが僕で、g(グロース)の世界の中ではプレッシャーが低くかつリターンが大きいという、それなりに美味しい立ち位置だと今のところは感じます。
栽培マンの世界もサイヤ人の世界も、各々それなりの苦労があります。必ずしもサイヤ人になれれば幸せなわけではなく、上場ゴールと叩かれ、夜道を歩くと株主に刺されかねないこともあるでしょう。自分にあった世界の中で頑張ればいいと思うのですが、個人的には両方の世界を体験し、両方の世界の人の気持ちを知っておくことで視野を広げることが大事なのではないかと思います。
私は本稿の定義でいうと、数字的にはgの世界では上の方ですし、場合によってはrの世界にも足を突っ込んでいます。とはいえ、gの世界で栽培マンとして新卒の頃にはエロマンガコンテンツの投稿監視に従事したりと、冷や飯も食べてきました。
本誌で「栽培マン論」を唱えてから、転職エージェントのキープレイヤーズ高野氏の元にくる転職希望者が「栽培マンにはなりたくないんです!」ということも増えたそうです。
まず栽培マンは世の中ないしは東京の構造をよく理解した上で、本当にサイヤ人になりたければ、一般社会でいうリスク(起業などの。私からするとサラリーマンでい続けることが最大のリスクですが)を早く取ることをお薦めします。
栽培マンのマインドセットはATMと変わりません。「会社が給料をくれる」ことしか考えていないのです。自分の力で会社を儲けさせた結果としての対価を得る。これが正しいビジネスです。日本社会にはビジネスマンではなくサラリーマンだらけなのでしょう。ATMといえば2012年春のソーシャルメディアウィークでCCIのおっさんにいろいろ突っ込まれたのが懐かしい。
本誌の読者の皆様には、栽培マンとして生きるかサイヤ人を目指すのは早急に決断いただき、栽培マンとして生きたとしてもビジネスマンであってほしいと切に願っております。ビジネスマンとしてのマインドセット(言い換えるとコストセンターにならないこと)こそが、脱・栽培マンへの一歩かと思います。