*2012.2.13にリライトしました。
〜2011.5.29 ver 〜
社会風な記事をたまには書いてみる。私自身も起業家ではないですし、ましてやフリーランスでもない。形態的にはサラリーマンに分類されますが、気持ちはサラリーマンではなく常に起業家やフリーランスサイドの目線を持とうと努力しているつもりです。
私は社会人3年目。そういったマインドセットからか、起業家やフリーランスの知り合いも着実に増えていますが、一方でネット系サラリーマンの知り合いも少なからずいます。
ズバッと言うと、起業家やフリーランスの人(もしくはマインドがそっち方向の人)と一緒に過ごす時間は、時間を忘れるほど面白い。しかし、サラリーマン系の人と過ごす時間は「嗚呼、なんてつまらないんだ。早く帰りたい。」と思うほど、会話の「面白さ」に差があります。
*敢えて本稿でのサラリーマンの定義は「ネット系企業に勤める若いサラリーマン」と限定します。
これは私の趣向性とマッチングの問題が前提にはあるものの、一般的に見た時に起業家やフリーランスの人の話とサラリーマンの話はどちらがコンテンツとして面白いのか?肌感覚では、それはtwitterのフォロワー数やRT数などに表れているともいえるしれません。一方でサラリーマンも面白い人はいます。数は少ないですが。
なぜサラリーマンとの会話がつまらないのか?起業家やフリーランスとの会話のどのような点を面白いと感じるのか?ただのサラリーマンからユニークな「The Salaryman」になるには、どうすればいいのかを考察する。
■1.なぜサラリーマンとの会話がつまらないのか?
ざっくりいうと目の前の仕事に追われ過ぎていて視座が狭く捉えるべき情報量が少なく知見が狭い。これがサラリーマンと話していてつまらねえな、と感じる主な要因かと思います。
サラリーマンという構造上の問題もあるかと思いますが、私がお会いしたサラリーマンの多くは教養レベルが低いと思います。例えばネット業界のトレンドの全体感を掴んで自分なりの意見が言えるサラリーマンは、かなり数少ないように思えます。
皆自分の会社の事業、部署の目の前の仕事に一杯一杯で、リテラシーの低い方だと上場企業でも自社の株価すらわからない人もいるでしょう。実は私は新卒の会社でこういう経験をしていて唖然としたことを覚えています。
たしかに目の前の仕事に一生懸命取り組むことは大事だと思うのですが、その仕事から離れた時に、取引先とかでもない全く関係ない同業界の人の話についていけますか?広告なら広告、メディアならメディアと同業ならついていけるかもしれませんが、そうでないと厳しいという人が多いのではないでしょうか。
業界の全体感を掴む努力をしていない。会社員として目の前の仕事のことしか考えない習性がついている。よって視野が狭く幅を広げる話ができない。だからサラリーマンの多くは話がつまらないのです。
■2.起業家やフリーランスとの会話のどのような点を面白いと感じるのか?
専門性、熱量、スピード感、裁量。この辺りが面白いと思う点でしょうか。
自分の事業を持っている起業家や、専門性を磨いて生計を立てなければいけないフリーランスでは、ただのサラリーマンと比較して事業や専門的なプロダクトに対する熱量、愛は構造的に比にならないでしょう。
また、サラリーマン同士の特に末端同士で話していても「何か一緒にやろうぜ!」という裁量もスピードもなく「俺たち、いつ出世できるんだろう。早くG2に上がりてえな。」というサラリーマン的な話に終始がちで、視点や発想のジャンプはなく、「同期も頑張ってるんだ!俺も負けない!」的な精神論だけで「刺激」を受け取ったと勘違いし、一時的なモチベーション維持には役立つかもしれませんが、その会話からそれ以上得られる視点や発想のジャンプは乏しいでしょう。
目を見れば起業家/フリーランスサイドの人かサラリーマンか、最近は一発で分かるケースが多い。目が輝いているか濁っているか。それだけの違い。
私自身は輝いている時もあれば濁っている時もきっとあるでしょう。
■3.サラリーマンから「ユニークでエクセレント」な「The Salaryman」になるには?
実際に限りなく起業家/フリーランスサイドに近い面白さを持ち合わせる「The Salaryman」も少なからずいると思う。私のことを面白い思ってくれる人がいるのであれば、構造的には私もサラリーマンなので、私は「The Salaryman」のポジショニングとなる。
どうすれば人に面白いと思われる「The Salaryman」になれるのか?既に1.2にヒントが書いてあるのだが、まとめてみるとこうなる。
▷1.業界の知見を広げ、従業員の立場だけではなく、経営者やフリーランスの立場で物事を考える
「業界の知見を広げる」という意味合いだけとっても、普段のRSSなどでの情報収集以外に、TeclosionやSVSなどのイベントに若者が行ってもいいと思うのだが、いわゆるネット系サラリーマンにその発想はないようである。ネットワーキングの機会損失が多いのもjustサラリーマンの特徴である。
▷2.自分の担当する分野やプロダクトに愛を持ち、専門性を磨き、個人として強くなる。
サラリーマンであるが故に、こうなれない人も多い。だったら扱う分野やプロダクトを本当に好きなものに変えるか、justサラリーマンを貫くことの二択となる。仮にネットワークの機会があっても、何も武器を持たない人では印象が薄く、just card game(ただの名刺交換)で終了してしまい、1枚30円の名刺を次々と溝に捨てることになる。
分野の専門性があるならそれをブログで発信する、良いものをプロモーションする、誰かと誰かを繋げる能力や、イベントをオーガナイズできる能力でも良い。○○といえば○○だ。と自分のキャッチコピーを作れると強い。しかもそれが市場のアンメットニーズである分野をカバーできると強い。自分が先駆者となれるからだ。
専門性と愛が大事。ということです。専門性や愛があれば、スピードや裁量は自ずとついてきます。ネット系若手サラリーマンには、「いつか独立してやるぜ」と野望を持ちながらも、目の前の仕事に追われてかつての野望を忘れ、justサラリーマンに成り下がっている人が多い気がする。
目を覚ませ。
まずは「The Salaryman」となり、こっちサイド(起業家やフリーランス)を驚嘆させたり楽しませたりしてくれ!と、まずは「The Salaryman」足ることからはじめようとしている、umekiでした。
〜2012.2.13 ver 〜
■1.フリーランスになって、ますます起業家やフリーランスとしか付き合わなくなった
今日ソーシャルメディウィークで、「日本社会の課題とは?」という話を振られるはずなので、上文を若干加筆修正し、現時点での自分の考えを追記しておきます。
本稿執筆時点では私はサラリーマンでしたが、今はフリーランスとして独立し、楽しく毎日を過ごしています。安定しないなどの不安がないわけではないですが、それ以上に色んな仕事や人に携わらせていただく機会を楽しんでいます。コワーキングスペースに入居していることもあり、サラリーマン時代よりも起業家やフリーランスの友人が増え、最近よくつるんでいるのはそういう仲間たちです。
サラリーマンの友人も増えたことは増え、私はかなり人付き合いを制限しているので、面白いと思える方としか付き合っていないのですが、起業家やフリーランスの人の方が圧倒的に面白いです。目の輝きが違います。自分の力やプロダクトで社会を良くしたい。エゴといえばエゴなのですが、気持ちのいいエゴである場合が多いです。
一方でサラリーマンもやりたいことをやれているサラリーマンがいて、楽しんでいる人もいる一方で、ほとんどが働く目的や意味を見失っており、ただ単に給与をもらうATMと化しているサラリーマンがほとんどなのではないでしょうか。サラリーマンの多くがなぜ死んだ目をしているのか。社会に置ける自分の存在意義を見失っているからではないでしょうか。
■2.日本社会の課題は「ATM化したサラリーマン」にある
前提条件として、起業家やフリーランスが素晴らしい、やりたいことだけやればいい、そうは私は考えていません。やりたいことだけ自由にやれればそれはそれで幸せかもしれませんが、起業家やフリーランスになったってそれほど甘くはないことを肌で感じていますし、時にやりたくないことをやる必要もあるでしょう。
ただただ、サラリーマンがカッコわるいのです。それも「ATM化するサラリーマン」が。
カッコいいサラリーマンも時にはいます。私は高度経済成長期のドラマが好きで、日本経済を牽引しようとする官僚や商社マンにロマンを感じることもあります。しかし、現代の停滞する日本経済の中で「俺が国を変えてやるぜ!経済を牽引するぜ!」と意気込めるサラリーマンはどれくらいいるのでしょうか。だったら自分で立ち上げた事業を通して経済を牽引した方がクールではないでしょうか。
意気込みあるサラリーマンならまだしも、意気込みの感じられない、死んだ目をしたサラリーマンが多いことが現代の日本社会の問題であると私は感じています。何を隠そう、私自身にも「死んだ目をしたサラリーマン時代」がありました。
その時の私は、毎朝会社に行くのが辛くて起きれない、吐き気がする、会社に対してバリューを提供できずに、給料だけもらって申し訳ない。目の前が真っ暗闇で、その会社にいてやりたいと思えることがない。こういう鬱スパイラルから「死んだ目をしたサラリーマン」ができあがるのではないかと、実体験を元にした仮説を持ちました。
私は無鉄砲でフットワークが軽く、「サラリーマン辞める」という選択肢を取りましたが、多くの人が家のローンや家庭などに縛られて、辞めることができないのでしょう。今の40代くらいの方にとっては耳の痛い話なのかもしれません。自分のその立場だったら、私のような若造にこんな図星を突かれると腹を立てる人もいるでしょう。
しかし、そんなATM化したサラリーマンたちが企業のコストとなり、社会を蝕んでいるのではないでしょうか。大企業の「ATM化したサラリーマン」の比率はいかほどであるか、興味がありますね。
この課題を解決するのはとても難しいのですが、一つはサラリーマンであればサラリーマンという職をプロフェッショナルとして全うする。勿論そういう方もいて、目の輝きが違うでしょう。しかしそういう「水を得た魚」状態なサラリーマンの比率はどれくらいでしょうか。
もう一つはサラリーマンという形態以外で生きる道を模索する。これは起業やフリーランスに当たるでしょうか。起業して投資家の資金を入れると思い責任が発生してしまいますが、フリーランスという形態の人はもっと増えてもいいのではないかと思います。
というような内容をソーシャルメディウィークでお話しするかもしれません。私にできることは、私程度の人間でもフリーランスでやっていけるよ。ATM化したサラリーマンやってるくらいなら、もっと活き活きとフリーランスやろうぜ!というメッセージを発することくらいかもしれません。
サラリーマンで満足している人はそれはそれでいいですが、昔の私のように「死んだ魚時代」を経験した人に、別の道があることに気づいてもらえればいいなあと思います。
長くなりましたがこれにて。